Cross†road(S*E)="GHOST"


1 :コンピュータソーダメロン :2009/02/02(月) 02:31:01 ID:o3teQ7nG






 1993年10月31日。
笹原ナオヤは、10歳の少年であった。
その日、父親と釣りに出かけた少年は、偶然、【預言者】と呼ばれる未知の生態兵器と戦闘を繰り広げる絢咲零と出会い、その戦闘に巻き込まれた。
容色麗しい妖艶な美女でありながら人外の悪魔でもある【ヴァンパイア】の絢咲零は、人間が巻き込まれたことなどお構いなしに戦闘を続ける。その結果、笹原ナオヤの父、笹原トウジはアメリカで元特殊火器戦術部隊SWATに所属する警官であり、銀蘭町においてはごく普通の刑事だったが、人知を超えた異形の生命体たちの戦闘の最中、命を落とす。
 そして、笹原ナオヤもまた父を失った直後、自らもその時、【預言者】が手にしていた金属片【ロンギヌスの槍】に貫かれて死亡した。
絢咲零は、不幸にも自らの戦いに巻き込まれて死んでいった人間たちなど、これまで気にも留めたことのない冷酷なエージェントだったが、この時、笹原ナオヤに対しては、その死に自らの責任の一端を感じるのだった。
しかし、数時間後、槍に貫かれて死亡したはずの笹原ナオヤが蘇生し、駆け付けた警察によって保護される。
 この事実に驚愕した絢咲零の所属する組織の支配者、レン=フレイザーは、笹原ナオヤを監視するために絢咲零をその身辺に配置し、監視する任務を与えるのだった。
 前回の任務の残務処理として、自ら【魅了】と呼ばれる能力を駆使し、人間たちの心を操ることで笹原ナオヤの家族になりすまそうとする絢咲零だったが、他の人間はともかく、どういうわけか笹原ナオヤ本人には、その能力は通用しなかった。
しかし、それでも周囲の人間に対して、危害を加えないことを条件に、笹原ナオヤは、絢咲零の侵入、そして自らを監視することを大人しく受け入れたのである。
 最初は冷たく、事務的に家族のフリをしながら、笹原ナオヤを監視し続ける絢咲零だったが、様々な少年との関係の中で、次第に少年に対して愛情と慈しみの心を持つようになっていく。
そしてある時、彼女は、レン=フレイザーの館で、笹原ナオヤの身に危険が及びかけたとき、自ら銃を抜いて支配者であるレンに向けて銃口を向けたのである。辛くも笹原ナオヤの大胆かつ無謀な申し出が、かえってレンの興味を引くこととなり、一触即発の戦闘状態から逃れることに成功するが、状況は確実に悪化していった。
 【アーネンエルベ機関】と呼ばれる謎の組織と関係のあるルーマニア人ヴァンパイア、イオン=スプートニクは、極秘に国内に運び込んだ【預言者】の実戦における実験を行うため、広島のある研究施設から大量のTNT爆薬を強奪し、銀蘭町の中心に位置する【銀蘭聖香学園初等部】を占拠したのである。
日曜日の比較的、校舎内に人間の少ない中ではあったものの、その中に投下された【アーク】から【預言者】は解き放たれ、それによって内部に残っていた人間のほとんどが【感染者】として異形の怪物に変異させられてしまう。
 偶然、その時、校舎内にいた笹原ナオヤ、保坂結衣、黒澤侍錬、安藤清美、霧原勇、そして教師の南遥は、おぞましい化け物の襲来を受け、笹原ナオヤに至っては、かなりの重傷を負いながら決死の覚悟で生き残ろうとする。
しかし、肩に重傷を負い、かなりの高熱に苛まれた笹原ナオヤが、目前に化け物が迫り、今まさに殺されようという直前、警察による包囲網をくぐり抜けた絢咲零によって救出された。
 脱出する直前、ヘリによって離脱を図ろうとするイオン=スプートニクをライフルで攻撃しようとする絢咲零だったが、ナオヤたち人間を先に脱出させ、自らは爆発の渦の中に消え去った。
一か月後、今だ、絢咲零の死のショックから立ち直れないでいたナオヤだったが、レン=フレイザーの計らいで、イギリスで瀕死の重傷を治療していた絢咲零とその後再会を果たす。
ようやく日常を取り戻しかけた笹原ナオヤと絢咲零だったが、その同じころ、父、トウジの師であり、友人だったSWATの教官ジョン=デイビットが同じ空港に到着し、来日していた。トウジの死を悼むために来日したというジョンだったが、その彼を待ち受けていたのはどういうわけかレン=フレイザーである。かつて敵同士の関係のようだった二人だが、この時のレンは、ジョン=デイビットに戦い以外の何かを求めていた。
 再び、何かが始まろうとしている。
さらに、レン=フレイザーの館では、【ロンギヌスの槍】に貫かれ死亡し、復活してからの笹原ナオヤの全記録を調べ、分析していた香川翠が、ある結論を口にする。

「……笹原ナオヤは6年後、死亡する……」

様々な謎、そして、混迷を深めながら物語は深まっていくのだった。





 Cross†road(S×E)="GHOST"
 
           ―交差する秩序の代理人―
 
           コンピュータソーダメロン






■START


2 :コンピュータソーダメロン :2009/02/05(木) 01:09:49 ID:o3teQ7nG

 暑い夏の陽ざしが照りつけてくる。
雲一つない空は、どこまでも高く高く、澄み切った蒼を広げていた。
険しい山道をひた走る少年にとって、日差しによって乾いた熱い空気を肺に吸い込むのはつらい。
 ただでさえ強い陽光が、頭や首筋をじりじりと焦がしているのだ。
迷彩色のボトムスに白く薄いシャツ姿だが、そんな薄着にどこまでの意味があるだろうか。
そんな彼の白いシャツには達筆で『心頭滅却』の四文字が書きなぐるような形でプリントされていた。
ある意味、嫌味のようだが、これを少年に着るようにいった本人は、それが少年に対してのささやかな応援の気持ちを表しているつもりなのだ。
 だが、実際にはそう簡単なことではない。
キャップをかぶっていなければ、熱射病にでもなって即倒れてしまっているところだろう。
 幸いなことに、この苦しい状況でありながら、気を紛らわせるためのいくつかの工夫を凝らすことだけは許されていた。
少年の耳にはイヤホンがかけられていて、自分の好きな音楽を聴きつつ、緑豊かな森の続く景色だけはいいこの山道をさきほどから一時間以上も頂上まで登ったり、降りたりを繰り返している。もちろん、途中に休憩を挟んではいるが、ほぼこの一時間は走り続けているといっていいだろう。
正直なところ、山道という以上は道が形成されているといえなくもないが、ほとんどゴツゴツとした岩場であったり、デコボコとした急な坂道の連続だ。普通にランニングを楽しめるような道ではないし、山登りを楽しむような観光客も早々見つからない。
だが、あえてジョン=デイビットはこのような場所で、少年を鍛えている。
 朝から昼まではひたすら少年を走らせ、午後からは頂上のログハウスで待つ絶世の美女の作った食事を貪るようにして食べ、片付けた後は息つく間もなく、また走り、そのあとは薪を何百と割り、腕立て伏せや腹筋などの筋力トレーニングを続ける。
それをたっぷり夕方、陽が沈むまで続ける。
北アメリカ大陸の北西から南東までを連なるロッキー山脈のうち、やや小高い山をトレーニングの場としている。
 山脈の麓は、森林地帯が続いており民家も少ない。
特殊部隊の戦闘訓練にはちょうどいい環境が整っているのだ。
 1996年の夏。
たいていの少年や少女たちが、待ちに待った夏休み、解放されて遊び回るこの時期に、少年はジョン=デイビットと共に渡米し、わざわざ夏のロッキー山脈にて、血の滲む訓練を続けている。
もっとも、訓練とは名ばかりで、その内容の大半は、このように基礎体力の充実を図るメニューで溢れていた。
 しかし、少年は来る日も来る日も不平をいうでもなく、ただ、黙々と言われるままに走り続けている。
笹原ナオヤ。
 彼は13歳になった。
山の頂上に建つ、丸太を組み合わせて建造されたログハウスに、彼が半ば倒れ込むようにしてドアを開けて入っていたのは、陽が沈む一時間前のことだった。
いつもと変わらず、もはや一歩も歩けないといわんばかりに、足の筋肉を震わせながら、やっとのことで部屋の中央にあるテーブルにどかりと座り込む。
 そして、無言のままにテーブルに突っ伏した。
「……」
その様子を横目に見ながら、絢咲零が黒いエプロンドレスでキッチンに立っていた。
黒いストッキングに亜シンメトリーデザインのダークブルーのプリーツスカートをサラサラと着こなし、黒いコルセットデザインのチュールを黒い肩ひもでかけるように着ている。
 一見して、少しだけ露出の強いメイド服のように見える。
その隙間から覗く雪のように白くきめ細やかですべらかな肌が、少年には刺激が強すぎた。恐らく、彼女自身は意識しているわけではないだろう。
 彼女の種族は、もともと無意識に人間の性的感性を刺激してしまう傾向がある。
 本能ともいうべきものだ。
その理知的な印象を思わせる細見の眼鏡が、彼女の官能的な魅力をさらに深めてもいる。
そんな彼女は、シルクのような光沢を放つしっとりとした漆黒の髪を高く結いあげ、料理の邪魔にならないようにしていた。
 見た目の歳は、20代前半の若い女性だが、実際にはいったい何年生き続けているのかは、誰にも分からない。
分かっているのは、かつて、彼女の美しさと妖しさに心を奪われた何人もの人間たちが、その身を破滅させてきたということだけだ。
まさに魔性の存在である。
 もっとも、彼女の魔性も、そして独特の能力【魅了】も、多くの男たちを垂らしこんできたとはいえ、この少年には効果がないことは実証済みである。
 その事実によって彼女は心の奥でそれなりに傷ついてはいた。
だが、その感情は時間の経過と共に、別の意味へと変わりつつある。
彼女は、そんな自分の感情の変化に気づいている。
しかし、少年にはそんな素振りはほとんど見せない。
女心というものなのかもしれない。
「ナオヤ、そんなとこで寝てないで、シャワー浴びてきなさい。もうすぐ食事の用意ができるから」
「……食欲ない……」
突っ伏した状態のまま、潰れたカエルのように低い声で言う。
 零はジャガイモのスープの味を確かめいてたが、やがて溜息をついた。
そして、腰に手を当てながら、美しい瞳を細め振り返った。
眼鏡の奥からナオヤを見据える。
「いざ、食事を始めたらナイフもフォークも使わずに手づかみで夢中になって食べようとするくせに」
「今日はダメ……。食べたらもう吐きそう……」
「……とにかくシャワーは浴びてきなさい。汗かいたでしょう」
「……動けない」
「甘えたことを言ってばかりいると、わたしがあなたの身体を無理やり洗ってあげてもいいのよ」
「……」
腕を組んで、じっとナオヤを見つめる零に対して、ナオヤは数秒間沈黙した。
そしてその後、のっそりと起き上がり、なんとか立ち上がった彼は、沈黙を維持し続けたまま、シャワールームに向かっていくのだった。
 彼を最後まで見つめ続けた零は、溜息をつきながら、再びキッチンに向き直り、作業を続けた。
そんな絢咲零は、【ヴァンパイア】である。
遠い昔、神と呼ばれたこともあれば、悪魔と呼ばれたこともある。
どちらかといえば、悪魔の側というのが正解だ。彼女たち【ヴァンパイア】にとって、人間は基本的にはただの捕食対象だ。
人間の血を糧に彼女たちは限りなく永遠に近い時を生き続ける。
 不死ではないものの、その強靭な肉体と不老によって悠久の時を生きる彼女たちとは違い、限られた短い命を生きるしかない人間は、自らの記憶、感情、思想を次世代に継承することで、永遠を手に入れようとした。
文化や文明というものだ。
【ヴァンパイア】にとって、それらはほぼ必要のないものだったが、永きに渡って人間たちが創り上げてきたこのシステムが、かつての未知の『神の国』を開拓し、無機質な機械で覆われた物質世界を作り上げたことは、ある意味では一つの成果だったのかもしれない。
そして、その影で、今も絶えまない善と悪が戦い続けている。
何のための戦いか。
 それを知っている者は、この新たな千年紀においては、ごく限られている。
気がついたとき、この世界の住人たちは、互いを殺し合うことしか覚えていなかった。
その横で、今も人間の作り上げた文明という名の不気味な機械が、動き続けている。
 そんな狂気に満ちたこの世界において、今、このログハウスの中での状況は、極めて異例中の異例といえるものだった。
繰り返すが、【ヴァンパイア】に文明は必要ない。
言いかえれば、美味しいと言われるような料理を覚えようとする【ヴァンパイア】など、この世界にはいないということだ。
 しかし、絢咲零はこの三年間の間に、目覚ましいほどの料理を覚えるに至る。
自分が食べるためではない。もっとも、人の血だけでしか生きていけないわけではない。
人が食べるものを【ヴァンパイア】が受け付けないわけではない。ただ、食べないのだ。それはむしろ本能に近い。
しかし、それでも彼女は料理を覚えようとしてきた。
 今では、そこらの料理番組に出るような料理人よりも腕がいい。
それはすべて、少年のためだった。
育ち盛りだから肉料理などを好むが、それだけでは栄養が偏る。
成長期にバランスのいい食事を摂ることは非常に大切だ。健康の面でもそうだが、食事は、人間のその後の人間性を左右することさえあるらしい。
 ナオヤは少しナイーブで繊細な子供だ。少しは男らしい面が出てきてもいいとは思うが、自分が生きている荒っぽい世界の男たちのような粗野な男にはなってほしくない。野菜もきちんと摂ってもらわなければいけないだろう。
最終的には、料理というより科学の世界にまで向かうほどの気の使いようなのは、彼女がそれほど人間というものをひ弱に捕えているということでもあるが、それ以上にナオヤの成長を気にしているのだ。
 そして、それ以上にナオヤの身体を気にしているのだ。
なぜなら、彼の身体は……。
「……」
三年前の香川翠の報告が、彼女の脳裏をよぎった。
 この三年間、そのことをあまり深く考えないようにしようとしてきたが、結局のところ、考えない日などないし、気が付けば、そのことを考えている。
 目下のところ、レン=フレイザー一味を含めた、その上部組織が動き、ナオヤが生存し続ける方法を研究しているという。
いったい、どういうことなのか、零には理解できなかった。
自分はともかく、あのレンや実態のつかめないその上部組織が、なぜ、本質的には敵でしかない【聖者】のナオヤを生かす方法を研究しているというのだろうか。
【聖者】の秘密を知る学術的知的好奇心だというのが、本音だというが、それだけではないはずだ。
そこまで零が、思いを馳せていたとき、ナオヤが入ってきたドアからもう一人が姿を現した。
「相変わらず、自分のセーフハウスに【ヴァンパイア】がいて、料理しながら待っているなんて姿、どうも慣れんな」
背の高いがっしりとした体躯の男が、低い声で呟きながら、かぶっていたキャップを脱ぎ捨て、黒いサングラスを外した。
 まるで、弾丸にも似た鋭く乾ききった蒼い瞳が、零の背を捉えた。
50を超える初老の男で、彫りの深い厳めしい顔つきをしている。
「慣れる必要はない。わたしとあなたの関係は、今でも敵同士ということに変わりはない。今はただ、共通の敵を排除するために停戦しているに過ぎない」
「……」
男は、背に自分の身長ほどの大きなボストンバッグを抱えていて、それをテーブルの端にゆっくりと下ろしてから、無言で零が占領しているキッチンの脇の冷蔵庫の前に立った。
冷蔵庫のドアを開け、中からバドワイザーのボトルを手にする。
キャップをはずして一口飲んでから、席に戻る際、彼は零に一瞬だけ視線を向けた。
 零は彼の一切の挙動を気にする様子もなく、ずっと料理する手を休めることなく動き続けていた。
「ふぅ……。共通の敵か。おまえたちは、そのためにあの少年を兵器として利用するつもりか?」
椅子に座って、ゆっくりと息を吐き、何気ない様子でジョンは呟いた。その瞬間、ずっと作業に余念のなかった零の動きが、ぴたりと止まる。
その様子を観察でもするかのようにジョンはじっと見つめ続けていた。ボトルをテーブルに置き、ごとっという音がその場に響き渡る。
「……それがわたしの任務……」
零は、ジョンに背を向けたままそう端的に答えたが、彼には見えないようにその薄い唇はきつく閉じられ、わずかに戦慄いていた。
その様子をやはり静かに見つめ続けていたジョンは、再びボトルに口をつけた後、気に入らない様子で溜息をつく。
「やっぱり分からんな」
「なに?」
「あんたは口ではそう言いながら、本当はあいつを戦わせたくない。あいつについてきたのもオレとあいつを監視するためだろうが、それ以上にあいつの代わりに自分が戦うために来たんだ。あいつに戦い方を教えるのは、戦うためではなく、自分がいない間、自分で自分の身を守れるようにするためだ」
「……」
零は沈黙を続ける。
ジョンは目ざとく、その一挙動を監視している。
この状況は、ジョンが言った監視する者と監視される者の関係とは実際には滑稽なほどに真逆の関係のようにさえ見える。
「教えてくれ。なぜ、あの少年をそうまで守ろうとする」
ジョン=デイビットは、退役した元軍人であり、経験豊富な警官である以上に、裏の世界では腕利きのエクソシストでもある。
何十年もの間、表の世界では人類の歴史が塗り替えられていく一方で、彼は多くの悪魔と戦い生き抜いてきた。
そして、悪魔と戦い続けてきた彼の結論は、悪魔は決して人間の味方ではなく、敵であるということだ。
悪魔たちは、巧みに人間の心の弱みに付け込み、始めは快楽や喜びを与えるが、最後にはその人間を破滅させるか殺すことを目的にしている。
 そのためならば、どんな嘘でも尽く。だが、その嘘にほんのわずかな真実を含ませることで、人間は簡単に騙され、そして彼ら彼女らの術中に捕えられていく。
 末路は皆同じだ。
だから決して、悪魔の言葉を信じてはいけないし、聞いてもいけない。それに応えてもいけない。
眼の前にいる容色麗しい絶世の美女は、その美貌によって幾人もの人間を惑わし、狂わせ、破滅させてきたに違いない。
 どんなに瞳を震わせ、その濡れた唇で愛を囁こうとも、それは決して真実ではないのだ。
 ジョン=デイビットに言わせれば、笹原ナオヤの身を守ろうとするこの絢咲零という【ヴァンパイア】は、確かに彼の身を案じ、守ろうとしているだろう。
 ただし、それは単純に笹原ナオヤ自身を案じているからではない。
何か他に考えていることがあるはずなのだ。
やがて、そんなジョンに向かって振り返り、絢咲零は、ナオヤには見せることのない艶めいた不適な笑みを浮かべて見せた。
「あのコは、わたしだけのものだからだ」


3 :コンピュータソーダメロン :2009/02/09(月) 01:37:37 ID:o3teQ7nG

五年前、ヴァンパイアの涙――。







――5年前。

イオン=スプートニクらルーマニアの【ヴァンパイア】組織が引き起こした銀蘭聖香学園初等部占拠事件がマスコミに大きく報道されてから数か月後。
 笹原ナオヤの怪我は、順調に回復を見せていた。
結局、警察当局は事件に関して、ほとんどその真相に迫ることはできず、困難を極めていた。
 あれほど大規模かつ大胆な事件において、多くの報道に囲まれながら事態が進行していったにも拘わらず、様として手がかりがつかめないことを当時のマスコミは厳しく批判した。また被害者の正確な身元を結局のところ、ほとんどの場合、割り出すことができなかったことも、それに拍車をかけていた。
ほとんどの死体は、あの爆発によって蒸発したか、あるいは完全に炭化しており、身元の特定がほぼ不可能な状態だった。
 唯一の手がかりが、あの事件を生き抜いた生徒たち、あるいは教師の6名の生存者たちだったが、うち一名は完全に精神を病んでしまっていて事情聴取を受けれる状況ではなかった。
他の五名にしても、事故後のショックが大きく、記憶の混乱が続いていたのもあるいが、それ以上に、実質的には校舎内の美術準備室に隠れていたために、ほとんど校舎内で何が起こっているのかを把握する前に、隙を見て逃げ出してきている状況である。
専門家にすれば、だからこそ、無事だったともいえると分析している。
 だが、訓練された兵士でもある【ヴァンパイア】たちを相手に、そう易々と脱出できるはずはないのだ。
彼ら、彼女らを影から支援し、救出した人物がいる。
もっとも、それらについての真実は公にされることはなく、警察も知らない。
 レン=フレイザーなる【ヴァンパイア】組織の人間が、【魅了】と呼ばれる能力を駆使して、人間の精神をコントロールし、笹原ナオヤ以外の4名の記憶を一部操作していたのである。
特殊な存在である笹原ナオヤには、この【魅了】と呼ばれる【ヴァンパイア】独特の能力は効果がない。
だが、もはや部外者でもない笹原ナオヤの記憶を操作しようとなどとは、もはやレン=フレイザーは考えていなかった。
 彼が考えていたことは、もっと別のことであり、本質的には敵である【聖者】の笹原ナオヤを利用することだった。
そのために、事件後、来日したジョン=デイビットとの接触を図ったのである。
 かつて、笹原ナオヤの祖父である考古学者、笹原ジンと親友であり、その息子、笹原トウジにとってはSWAT時代の師でもあるジョン=デイビットは、エクソシストとして、様々な怪奇現象と向かい合い、時には戦ってきた。
最強と謳われる【ヴァンパイア】であるレン=フレイザーとは、かつてイギリスで何度となく激戦を繰り広げてきたが、その都度、瀕死の重傷を負いながらも生き延びてきた古参の戦士であった。
 レンは笹原ナオヤの真実をジョンに伝え、ジョンに笹原ナオヤをエクソシストとして鍛えることを依頼した。
それが1993年12月24日。
この日、絢咲零が事件の傷を癒し、イギリスから帰国した日でもある。
彼女は、レン=フレイザーがジョン=デイビットと接触したことを香川翠から聞いた時、ありえないほど激高し、香川翠の制止も聞かずに、レンの館へと向かった。
病み上がりの身体を引きづり、黒く艶めかしいラテックスのボディースーツを着込んだ彼女は、そのほっそりとしながらも魅惑的なボディーラインを強調したスーツにありえないほどの弾丸とライフル、ハンドガンを装備し、門に控えていたガード2名を躊躇することなく、銀の弾丸で射殺した。さらに銃声に反応して出てきた警備の【ヴァンパイア】総勢300名あまりを一瞬でなぎ倒したのである。
その姿はもはや、『美女』ではなく『野獣』と呼ぶ他ないものだった。
 月明かりに照らされ、紅い瞳をより鮮やかに染めながら、彼女は【悪魔】としての本能に導かれ、破壊と殺戮に酔いしれ、歓喜の咆哮をあげる。
もはや、理性は失われ、本能のみで、同族である【ヴァンパイア】を貪り殺していく。
怒りに狂い、そして破壊によって生の充足を得る。
その美しさの奥にある【魔性】だ。
 それは終わりなどないかのように続いて行く。
館中にいた【ヴァンパイア】たちは、いつしか絢咲零と戦うことを恐れ、逃げ惑うようになった時、それはもはや戦いなどではなく虐殺に変わっていた。
やがて、500名以上もの【悪魔】たちが、より邪悪な【悪魔】に殺しつくされ、最後の一人の首が、無残にへし折られた瞬間、まるでゴミのようにそれを放り投げる零の前に、その人物が現れた。
一面、同族たちの血の死体の山に囲まれ、零の前に現れたのは、香川翠を従えたレン=フレイザーだった。


4 :コンピュータソーダメロン :2009/02/10(火) 00:51:22 ID:o3teQ7nG

「あぁ〜あ、みーんな殺しちまいやがった……」
今回のレンは、なぜかいつもとは違い、黒い高級スーツを着込み、闇に解けいるような深い蒼のシャツに黒いネクタイをしている。
その上に、まるで闇を背負うかのような漆黒のコートを着ている。
明らかに、いつものストリートギャングの長のような井出達ではなく、マフィアのように様変わりしている。
そんな彼は、死臭が漂い、冬の夜の寒さで凍えそうな中、張りつめた空気を一気に緩めるようなひどく間の抜けた声を発した。
前回会った時には、笹原ナオヤがそばにいた。
しかし、今は自分一人だ。
絢咲零を突き起こす殺戮の情動に迷いはない。
「……レン=フレイザー」
彼女は、大気を震え上がらせるほどの殺意に満ちた紅い瞳を見開き、獲物を見つけた獣のように、レンを睨みつけた。
「知ってるか、セリーン。【ヴァンパイア】は混ざりもののクズこそ増えてるものの、オレやお前を含めた純血種は、減少の一途を辿っている。高貴な血筋の影でしかない出来損ないどもだけが、ゴキブリみてぇに増えてるってのによ……。なのに、今夜でいったいお前は、何人殺した? ははは、ここにいた連中は、その希少な【純血種】だっての知ってて、こんなにブチ殺したのかよ。笑えるぜ」
レンは、何の感慨に耽るでもなく、悲しむでも怒るでもなく、ただ可笑しそうに笑いながら言う。
その様子をただセリーンと呼ばれた絢咲零は睨みつけながら黙っている。
「その血の味は、罪の香に満ちてるだろ?」
【ヴァンパイア】の血に身を浸し、浴び続けた零に、含み笑いを浮かべながらレンは、【ヴァンパイア】たちの死体をゴミのように蹴りながら、零に歩み寄っていく。
「黙れ。わたしはお前を殺しにきた」
「まだ殺したりねぇってのか?」
両手を広げて、おどけてみせるレンは、香川翠に視線を向けて、困ったとばかりに笑う。
「おまえも知っているはずだ。【上部構造】は根本的に、我々、【ヴァンパイア】の存続や、【ヴァンパイア】同士の繋がり、争いなど意に反さない。我々は、ただの集団であって一種族としての関係性など持たない。ひとつの目的の完遂のために、ただ規範のみがある」
「規範ねぇ、相変わらず『いいコちゃん』ぶってやがるな」
レンの瞳が、悪いの塊のように邪悪な光を放ち、口の端が切り裂かれ出もしたかのように大きく開き、釣り上がる。
まるでこの世の絶対悪の塊ではないかと思えるほどに、その禍々しさの奥に広がる闇は底知れない。
 この生命体は、人間はおろか、地球上の生物、それは【悪魔】と呼ばれる人間よりも上位の存在にとってさえ、驚異ではないかと思わせるほどに破滅的だ。
「だが、てめぇのその目は気に入ったぜ。まさに【悪魔】そのものだ。ここ最近のてめぇは、らしくなくて退屈だったが、そうやってオレを殺しにきてくれるくらいのてめぇの方がオレは、ゾクゾク興奮してくるぜ」
内なる劣情を抑えきれずに舌舐めずりするレンに対して、絢咲零は、かまわず言った。
「ジョン=デイビットと接触したな」
「ああ、ヤツを利用する」
迷うことなく、隠さずにレンは答えた。
 まるで、絢咲零がすかさず気付くことを分かっていたかのような余裕がそこにはある。
「規範に反する行為だ」
「さっきから規範、キハンとよぉ、面倒くさいったらないぜ。あの【聖者】のガキを利用するのに、てっとり早く鍛えるには、ヤツ以上の腕を持つ人間などいねぇんだよ」
「ふざけるなぁぁっ!!」
その一言を聞いた瞬間、それまで比較的落ち着きを取り戻しかけていた絢咲零の感情のボルテージが一気に引き上げられた。
空気が振動するかのような激しい情動に、そばに立っていた香川翠が、一瞬、びくり怯む。
レンだけがニヤニヤと笑いながら、余裕を維持している。
「【聖者】は敵だ。【聖者】を利用するために、人間を使って戦い方を覚えさせるなどありえない! これは重大な違反だ。【上部構造】はお前の抹殺を判断するだろう」
「よぉ、セリーン。てめぇ、マジで【ヴァンパイア】の規範を保全するためにオレを殺しにきたってのか?」
「……」
「てめぇは、あのガキを戦わせたくねぇだけだろ。気にいらねぇ……。クズの人間どものガキ一人に、高貴な【純血種】の姫君たるてめぇがよぉ……あのガキに惚れたってのか? あのガキにその色っぽい足を広げて見せたってのか?」
その最後の一言を口にした時、レンの表情から笑みは消えていた。
代わりに、眉間に皺を寄せ、唇の端に牙をのぞかせて野獣の本性が浮かび上がる。
だが、それはそこまでだった。
次の瞬間、絢咲零の身が、大気に解けいるかのように消えた。
そして刹那の間、再び姿を見せたときには、一瞬にしてレンの懐に入り込み、そして、その溝内を高速で回転しながら袈裟蹴りによって蹴り上げていた。
 その威力とスピードは尋常ではなく、レンの腹部を瞬間的に貫通し、バスケットボールくらいの大きな空洞を作り上げながら、レンの身を数メートル後ろの壁に叩きつけた。普通の人間ならば、もはや即死していてもおかしくないほどの重傷である。
隣に立つ香川翠には、一瞬、何が起こったのか分からないものの、数秒遅れて吹き荒れる衝撃派に、思わずよろけた。
そして、気がついたときには、レンの立っていたはずの場所に、絢咲零が立っていることに驚愕する。
「セ、セリーン……」
「今は絢咲零よ」
壁に吹き飛ばされたレンに強い視線を向けたまま、零は答える。
その目は、どこまでも氷のように冷たく、そして容赦のない機械の殺戮兵器のようだった。
ぞくりとする香川翠だったが、それでも伝えねばならなかった。
「聞いて、零。ジョン=デイビットとの接触は、【上部構造】の意思でもあるのよ」
その一言を聞いた時、絢咲零は初めて香川翠に視線を向ける。
「どういう意味なの?」
「あなたが笹原ナオヤと接触してから、彼の肉体の細胞組織のサンプルを様々な角度で検証、調査してきたの。その結果、彼は、笹原ナオヤは、あと6年で死亡することが分かった。
その一言を聞いた瞬間、絢咲零のそれまで全身を覆っていた殺意と破壊の情動に満ちた波動が、一気にかき消された。
そしてそこに立っていたのは、それまでの彼女が嘘のように弱々しく、唖然としたまま立ち尽くす一人の女性の姿があった。
瞳を見開きはしていても、それは血のように紅く染まった感情は宿っておらず、黒い瞳が、ただ何も映すことのない虚ろな表情を浮かべているだけだ。
まるですべての機能が停止したロボットのようだった。
そんな彼女が、ぽつりと呟いた。
「……どういうことなの?」


5 :コンピュータソーダメロン :2009/02/10(火) 03:41:23 ID:o3teQ7nG

「ふ、ふふふ、はははは、いいぞ。すげぇ力だ。この分だとこの先の幸先はいいようだがな、翠」
空洞のできた腹を手で抑えようにも、大きすぎて意味はない。
それでも、レンは腹を抑えて笑う。
香川翠は、そんなレンにほんの僅かに視線を向けてから、改めて零に言った。
「端的にいうわ。笹原ナオヤの遺伝子サンプルの中で、異常現象を引き起こしているテロメアを発見したのよ。テロメアは遺伝子内の染色体の末端部の構造のことで、本来、このテロメアはテロメラーゼと呼ばれる酵素によって活性化され伸長するの。でも、ヒトの体細胞内ではこれらは発現しないし、活性化も弱いから、細胞が分裂するほどにこのテロメアは短く委縮してしまう。そうすると細胞の老化が進むことになる」
「つまり、分裂してテロメアが短くなるごとに、人間は老化していくことになる?」
「そうよ、一概にはいえないけど、テロメアの長さが人間の寿命の長さと呼べるのかもしれない。生物の体細胞を使ったクローンは、元々短いテロメアから複製を作る形になるから、短命だったり、癌になるやすい肉体の場合が多い」
「そのテロメアがナオヤの中でどうなっているの?」
絢咲零が香川翠に問いかけた。
その瞳は、先ほどの勢いとは裏腹に、何かに脅えるように震える。
そんな彼女などこれまで見たこともなかった香川翠は、獣のような彼女に恐怖を覚えた先ほどの感覚とは正反対であるこの状況に違和感を覚えた。あれほど圧倒的な破壊と殺戮の限りを尽くし、不敵に笑っていた彼女が、今はただの女にしか見えなかったからだ。
香川翠が、後ろで壁に背を預けて座り込んでいるレンに視線を向ける。
いつの間にか、動けないその身でありながらタバコを吹かしていた男は、にやりと笑って頷いた。
「今、彼の身体の中で急激なテロメアの委縮が進んでいる。恐らく、【ロンギヌスの槍】に貫かれてからでしょうね。あまりに急激すぎて外見上に変化がほとんど表れていない。でも、それもあと数年のことよ。彼の外見が老化するよりも前に、彼の肉体には限界が来る」
そう言いながら、すでに撮られた何枚かの電子顕微鏡の写真を絢咲零に手渡した。
「それが……それが6年だというの?」
「零、彼は数百年ぶりに出現した【聖者】よ。どういうわけか分からないけれど、これまで出現してきた【聖者】とは完全に異質の存在といえるわ。こんなケースは初めてなのよ」
あくまで研究対象に向ける経過報告をするかのように、香川翠は落ち着いている。
しかし、その一方で、その瞳にはわずかな興奮が見られる。
それは香川翠の内面に宿る知識欲が、前例のない異質な存在に向けて際限のない探求心を刺激されているに他ならない。
 香川翠は、これまで笹原ナオヤを殺害するべきだと考えていたが、この時の彼女は絢咲零とは違った次元で、笹原ナオヤに対して特別な感情を抱きつつあるのだった。
そんな香川翠の傍らで、今度はレンが口を開いた。
「恐らく、笹原ナオヤはこれまで存在したどの【聖者】とも違う特殊な運命、あるいは任務の達成を目的として創りだされた【聖者】だ。そのためにあらゆる能力が、遺伝的にこれまでの【聖者】とはケタ違いになっていることは、初期検査の段階で分かっている。オレやセリーン、てめぇの【魅了】が通用しないのも、そのあたりが原因なんだろう。だが一方で、急ごしらえで創られた超性能を秘めた『規格外品』は、その寿命を短くもしたというわけだ。もっとも、笹原ナオヤを【聖者】として覚醒させたもの、仮に神と呼ぶなら、神は6年の年月で笹原ナオヤの任務は、ほぼ完遂できると考えているんだろう」
そう言いながら、レンは壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。
香川翠は、レンのそばに駆け寄り、その彼に自分の肩を貸した。本来のレンに、そこまでの助けが必要だとは思えない。
その気になれば、一瞬で傷を再生するくらいのことは、この男には簡単なことだろう。
だが、あえて、レン=フレイザーは、絢咲零に貫かれた傷をそのままにしている。
【ヴァンパイア】とはいえ、痛覚は普通の人間と同じようにある。苦痛が今もなお、彼の神経に響き渡っているはずだ。
にも拘わらず、口から時折血を吐きながら、レンは笑みを絶やさずに零を見据えている。
「ナオヤの任務とは何なの」
零が問いかける。
「分からない。なぜ、彼がこの世界で覚醒したのか。でも、確実に何か目的がある。それを探るためにも【上部構造】は彼の能力をより開花させる必要があると考えたのよ。そうすることによって何かが起こる」
 零は瞳を細めた。
彼女の内心の不安は深く、そして冷たく痛々しい。
はっきりいって、彼女にとって【神】なる存在の意思などどうでもいい。
彼女が我慢できないのは、なぜ、それがナオヤなのか、である。はじめから死ぬことを前提にして創られた生命だというのだ。
 何かの目的を完遂できれば、その後はあっさり死んでも構わない命を与えられてしまった少年だという。
そんなことを受け入れられるか。
零は唇を固く閉じ、瞳を細めて震えた。拳を強く握り、その内側からは血さえ滲んでいた。



こんなことをわたしに受け入れろというのか。受け入れられるはずがない。アレは、わたしが見つけたわたしの宝物……。
誰にも渡さない。
誰にも奪わせない。
たとえ、それが神であろうとも、絶対に……。
あのコを傷つけていいのは、このわたしだけなのだから……。



この世に金や銀、宝石の類はいくらでもあるだろう。
数百年もの時を生きてきた【ヴァンパイア】の絢咲零にとって、そんなものはそこらの石と変わらぬ価値でしかない。
だが、それとは比べるべくもない大切なものを見つけたのだ。
それが今、奪われようとしている。
「仮に【聖者】としての能力を開花させるとして、それは我々にとって危険ではないのか」
絢咲零は香川翠とレンに向けて、冷たく言い放った。
「そのために【上部構造】はあなたを選んだのよ、零」
「わたし……?」
零は、香川翠から当然のごとく言われた意外な言葉に少し驚いた様子を見せる。
そんな零に、香川翠はレンを支えたまま、いつの間にか取り出した紅い血の色のようなカプセル状の薬品を一錠、零の手に渡した。
「これは……?」
「わたしがあなたの血液を基に遠心分離して作った血清よ。それにある成分を含ませている。あなたの血液は、【ヴァンパイア】の血。それには人間の肉体をある程度回復させる能力と、同時に……」
「出来そこないのクズである雑種の【ヴァンパイア】を作ることもできる。まぁ、そのへんはオレたちの意思によるが……」
「この血清は【ヴァンパイア】回復能力だけを突出し、凝縮させている。ある程度、笹原ナオヤの『病気』の進行を抑えることができる」
それを聞いたとき、絢咲零の顔が、少しだけ明るさを取り戻した。
だが、状況はそれほど甘いものではないことを零も薄々気付いている。
「よく聞いて。この血清はどちらかといえば、笹原ナオヤを助けるためのものじゃない。彼を可能な限り生存させてその存在の目的を監視することと、場合によっては、彼を抹殺するためのいわば安全策なのよ」
「……【上部構造】の考えそうなこと」
絢咲零は、溜息をつきながら言った。
「この血清を笹原ナオヤに一定時間ごとに与えることで、病気の進行を遅らせることができるけど、それも長くはないわ。飲ませるたびに効果は薄れていくはず。そして、この血清に含ませたある『成分』は、絶えずあなたの生命活動のある部分とリンクし続けている。一定距離を超えてリンクが切れたとき、笹原ナオヤの中にあるあなたの血清成分は、細胞全体に強力なアポトーシスを引き起こさせる」
 絢咲零には、香川翠の言おうとしていることの意味をこの時理解した。
やはり、【上部構造】は、笹原ナオヤを単なる実験動物か、あるいは利用できる兵器としか考えていないのだろう。
あくまで、自分たちにとって都合のいい間は生かし、危険と判断した場合には即座に殺せる準備を整えているということだ。
そんなことを自分にやらせようというのか。
冗談ではない。
冗談ではないが……ナオヤを救う方法がない今、少しでも時間を稼ぐ方法が他にあるといえるだろうか。
「この薬は、笹原ナオヤの命を長らえさせると同時に、場合によっては抹殺もする。【ラヴァーズボム】と呼ばれるものよ」
「……」
絢咲零は、手に持ったカプセルを見つめる。
このカプセルは、自分の血を基にして作られている。
自らの【ヴァンパイア】の特性として、その血にある回復成分を凝縮したものではあるが、同時にナオヤを殺す結果にもなりかねないものだ。こんなものを自らの手でナオヤに渡して飲ませろというのだ。
「恋人たちにとって、別れは死を意味する。なかなか気の利いたカプセルだと思わねぇか?」
レンが不快な笑みを零に向けた。
その言葉に、思わず再びレンの肉体を粉々になるまで叩き伏せようかとも思ったが、今の彼女にそこまでの気力はなかった。
零は再びカプセルに視線を向ける。
今、笹原ナオヤを救う方法はない。
 恐らく人間の医者などに診せたところで、原因さえ彼らには掴めないだろう。
これは普通の病ではないのだ。
幸いにして、【上部構造】は笹原ナオヤの存在に注目している。
香川翠に絢咲零の血液から血清を作らせるように指示したのも、彼らの命令なのは明らかだ。
ならば、この状況を利用して笹原ナオヤを助ける術を研究させる他ないだろう。
 さしずめ今は時間を稼ぐことしかできない。
どうせ、零はナオヤのそばを離れるつもりはない。
だが……。

――自分の血で、ナオヤを殺すことになるかもしれない……。

零にとって、この決断は何より難しかった。


6 :コンピュータソーダメロン :2009/02/12(木) 01:11:17 ID:kmnkzAPc







ジョン=デイビットにとって、笹原家の人間を鍛えることになるのは、これが二度目である。
 一度目は、親友だった考古学者、笹原ジンの頼みでその息子、笹原トウジを鍛えた。
トウジは類稀な才能を秘めていた。その行動力、独創性、瞬間的な判断力に状況を冷静に分析する洞察力、すべてにおいて、理想的な兵士になる才能を豊かすぎるほどに備えていたといえる。
いや――、才能が豊かすぎたのだ。
ジョンは、笹原トウジの死を知ったとき、そう悟った。
笹原ジンは優秀な学者だった。同時に世界の裏側を知る数少ない人材でもあった。その上で、笹原トウジを自分に預けたことの意味をジョンはよく理解していた。しかし一方で、トウジをこちら側の世界に引きこむことに躊躇いがあった。
今思えば、その躊躇いが結果として、トウジを死に至らしめたのではないかと悔やんでもいる。
トウジがSWATととしての人生を選んだとき、ジョンは誇らしさを感じた。そして何よりほっとしてもいたのだ。
人類は悪魔になりうる。長年、警官として仕事をしてきたが故の結論であり、エクソシストとして悪魔と闘い続けたが故の経験だ。
だがそれでも本物の悪魔は、それとは比べるべくもない恐ろしい存在だ。
 悪魔のような人間よりも、人間の姿をした悪魔と戦うことのほうが、よほど危険で恐ろしいことなのだ。
少なくとも悪魔のような人間と戦うことを選んだトウジにほっとしていた。
だが、結果として、トウジのありすぎる才能が、その鋭く磨き抜かれた感覚が、【魔】と出会った時に、それを感知することができたとしても、それに対する戦い方、向き合い方が出来ていなかった。
感覚によって【魔】に導かれ、そして滅ぼされてしまった。
その感覚を磨かせたのは、他ならぬ自分なのだ。
 今また、トウジの息子であるナオヤに、自分はこの恐ろしい戦いに巻き込ませようとしている。
だが、それは本当に本当、そうだといえるのだろうか……。
ナオヤを鍛えることを最初は拒絶していたジョンは、それでも結局、この道を選ばざるを得なかったが、今となっては、それさえも迷っていた。
それは、この少年、笹原ナオヤの父以上と思える底知れぬ才能を垣間見れば見るほどに、実はこの少年を巻き込んでいるのではなく、自分こそが、この少年の運命に巻き込まれているだけに過ぎないのではないかと思えてくる。
5年後のジョンは、そう思い始めていた。
しかし、この時点のジョン=デイビットは、今だ、笹原ナオヤの正体も、笹原ナオヤの運命も、まだ何もその本質を知らなかった。
空港でレン=フレイザーに、笹原ナオヤを鍛えるよう依頼されたときは、まずその内容よりも、この希代の化け物が、笹原家の人間と接触しようとしていることに戦慄を覚えた。
 十年以上戦い続けている【ヴァンパイア】組織の首領が、何かの取引かと思いきや、一流の【エクソシスト】に鍛え上げろ、というのである。【聖者】としての特性を備えたこの少年を抹殺しようとしているのなら理解もできるが、なぜ、殺さずにその才能を開花させようとしているのか。
 理由は、すぐに分かった。
少年は数百年ぶりにこの世に降臨した【聖者】で、それまでの【聖者】とは一線を画す卓越した戦闘能力を持っている。
 これまでの【聖者】は、確かに【悪魔】と戦う技術、知識、戦闘能力に長けた者は多くいたが、どちらかといえば実際には、桁はずれのカリスマ性を持って人心を束ねる政治的手腕、あるいは宗教的高位の立場で、人々を導く役割を担った者が多かった。
それゆえに、さまざまな文献、歴史資料などにその名を残している者は多い。
だが、現代に再び現れた【聖者】、笹原ナオヤには、そんな能力よりも彼単体の戦闘能力の高さ、その才能こそが、群を抜いて表出されている。そのうちの一つが、【ヴァンパイア】の魔眼による【魅了】を一切受け付けない体質だといえるだろう。
まさに彼は、【魔】の存在すべてとの戦いのために創りだされた専用兵器といえる。
 かつて、【ロンギヌスの槍】を手に入れたのヒトラーのように人類を導く立場などではなく、ただ、戦争のために産み出された個体だ。それゆえに、この超兵器が敵軍に墜ち、利用されないようにその命を短く設定されているのだとしてもなんら不思議なことではない、と香川翠は考えていた。
 では、何と戦おうとしているのか。
そこが問題だ。おそらく、単純に【魔】を屠ることではないだろう。
そうでなければ、あの日、自分に武器と情報をよこせ、といったナオヤが、代わりに自分たち【ヴァンパイア】を見逃す、などと冗談でもいわないはずだ。
 まして、あの女……。
あの【ヴァンパイア】の女、絢咲零を生かしたままにしておくとは思えない。
だが、そこで疑問が生まれる。
笹原ナオヤはどこまで【聖者】として覚醒しているのか。
恐らく、レンもまたそこに疑問が生まれているのだろう。
それゆえ完全な覚醒を促すために、自分に笹原ナオヤの訓練を依頼したのだ。
最も大きな疑問、『笹原ナオヤは何と戦おうとしているのか』の答えを知るためだ。
笹原ナオヤの敵が、あるいは自分たちの敵にもなりうるのか……。
それは慎重に判断しなければならない。
 しかし、結局のところ、ジョン=デイビットが笹原ナオヤを鍛えようと判断したのは、そこではない。
正直言って、笹原ナオヤの敵が何で、自分たちにとって、その存在が何であろうそんなことはどうでもいい。ただ、この少年はこれから大きな運命を背負っていくことになるのだ。
 それだけは間違いないだろう。
ならば、自分は、かつての友人に教えくれなかったことを教えるのが、自分の務めなのではないか。
ジョンは、そう判断し、覚悟を決めた。


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