ベイビーベイビー・ドントクライ


1 :菊之助 :2007/08/29(水) 13:26:04 ID:kmnkzJPn

 小菅ヶ谷丸が吐いた。それはもう、突然の出来事だったので、目の前でそれを見ていた自分もどうしていいのか分からない状態だったわけである。だから、嘔吐している人物に絶対してはいけない仰向け体勢を、自分が小菅ヶ谷丸にとったのも、致し方ないということにして貰いたい。
「小菅ヶ谷丸、小菅ヶ谷丸!」
 二度、自分がそう叫ぶと、仰向けにしたために呼吸困難に陥りかけた小菅ヶ谷丸はゴフンゴフンと聞くに堪えない嫌な咳と臭いをさせたので、思わずバッと手を離す。
 そのおかげで、乾いた地面に脳天から落ちた小菅ヶ谷丸は、暫く頭を押さえて地面を転がることになったのだが、そのおかげで喉に詰まっていた吐瀉物がとれたのだから、自分のした事に間違いは無いはずだ。救済とは常に何かしらの痛みを伴う物である。伴う痛みが他の者か、それとも既に痛みを感じている者に対して二重に伴うかは、神のみぞ知る。そう言うことにしておこう。人生は、程ほどに曖昧なほうが上手く回ると、道端で飴をちらつかせ幼い自分を誘拐しかけた小父さんが言っていた、ようないないような。とにかく、今もこれだけ大きくなって健在なのは、幼い自分が隙を見て、小父さんを肥溜めに叩き込んだからだろう。偉かったぞ、幼い自分。
 
 それはそれとして。
 地面を転がったおかげで程よく砂まみれになった小菅ヶ谷丸は、そのまま倒木の根元で動かなくなった。
 否、一応呼吸をしているため背中はぜいぜいと波打っている。生きているらしい、ちっ。
「小菅ヶ谷丸、大丈夫か?」
 些か慌てた風に自分は小菅ヶ谷丸に近付いた。苦しそうに顔を上げた小菅ヶ谷丸。おお、死相が出ている。
「小菅ヶ谷丸、死相が出ているぞ」
「……」
 黙りこむ小菅ヶ谷丸。
 否、心身ともにダメージが大きくて喋ることの出来ない小菅ヶ谷丸、といった方が正しいか。
「……貴様」
 おや、意外にも早く回復した。青い顔をした小菅ヶ谷丸に、自分は出来る限り心配そうな顔をしてみせる。なんと言っても、アレである。自分は、一応は小菅ヶ谷丸より下の位置にある身分だからである。だから、心配そうな顔もしてみるのである。しかし「である」と言うのを使うと、それなりに献身的な部下に思われると思うのであるから、不思議である。
「貴様、鬼灯丸! 我に毒をもったな!?」
「何を仰る、小菅ヶ谷丸。自分は何もしていない。まさか毒など」
「その割に、貴様の作った弁当を食ったと同時に我は吐いたのだぞ!」
「……ちっ、何と敏感な胃腸を持ったやつだ」
「今なんかコソッと凄いこと言わなかったか?! お前を軽く斬首に出来そうな事を言わなかったかオイ!」
「そんな、自分が小菅ヶ谷丸に毒を盛ろうなんて。ありえないではないか!」
 自分の一言に、小菅ヶ谷丸は明らかに動揺した表情を見せた。当たり前である。自分がちょっと「傷ついた、自分、今ものごっつ傷ついた」みたいな顔をして叫べば、大抵小菅ヶ谷丸はそんな顔をする。
 こういうヤツをアレである。「へっへーん、ちょろいぜ」とかいうのである。

「分かった鬼灯丸、我が悪かった。お前を疑うなど。幼い頃から我の側にいたお前を疑うなど、我は長旅と、今回の仕事のせいで疲れていたのだ……」
 ちょろいぜ。
「そんな事はない、小菅ヶ谷丸。お前は悪くない!」
「ほ、鬼灯丸……」
「そして、自分も悪くない!」
「……ああ、うん」
「悪いとすれば、炎天下で二日間放置しておいただけで腐った弁当のやる気の無さだ!」
「おぉおいっ!!」
「そして、そんな腐った弁当の臭いに気付きもせず「うはーんホオジュキマルの手作り〜? 僕ちゃんウレピー」と言って食ったお前の脳みその足りなさが悪いんだ!」
「我はそんな事いっておらんし!? と言うか、我が悪いみたいに言われてるし?!」
 自分の発言に、激しく怒鳴る小菅ヶ谷丸。しかし、主である小菅ヶ谷丸の声は五月蝿すぎて、自分はあっという間に興覚めした。
「ああ、鬼灯丸! 貴様、また我の声を聞こえないフリをしているな!? 何様だ、貴様、我の従者のくせに何様なんだ!」
「お疲れ様、だ」
「ぬぉおお! そうやって興味が過ぎると捻りの無い答えを返して、もう信じられん! 貴様なんか今日限りクビだ! 失業だ! 失職だ!」

 ますます大きくなる小菅ヶ谷丸の声に、鳥たちが騒ぎ出すのを、自分はぼんやりと眺めていた。既に耳栓は着用中である。

 自分の名前は鬼灯丸。鬼火に丸と書いて「ほおずきまる」と読む。職業は召使。
 そして小菅ヶ谷丸。「こすがやまる」と読めばそれなりに聞こえるが、なにやら貧相な名前の持ち主は、自分の主人であり、ここいら一体翔(しょう)の国の次代首領ともなる身分だ。
 そう、ここいら一体で二番目に偉いやつであり、二番目に命をお守りしないといけないやつなのである。
 なのであるが、人生色々。男も色々。女だって色々あるので、即ち愛の形も色々なわけである。だから、自分がちょっと腐った弁当を主人である小菅ヶ谷丸に与えるのも愛なわけである。
 古来より愛は痛いものなのである。
「痛い愛なんて、我はいらんわ!」

 無駄に召使の心を読める主人も、自分はいらないのである。
「である、とつければ何しても良いと思って! 本当に貴様はクビだ! 城に帰ったらクビにしてやるからな!!」

 そして、今日も今日とて主人は「クビだ」と叫び、自分は気にせず召使街道をひた走るわけである。
 であるからして。
 続くのである。


2 :菊之助 :2007/08/29(水) 13:28:06 ID:kmnkzJPn

小菅ヶ谷丸 その壱

「小菅ヶ谷丸」
 鬼灯丸は我を呼ぶのに、我の幼名を呼ぶ。幼い頃にはよく呼ばれたその名前を、今も呼ぶのは従者で幼馴染の鬼灯丸だけだ。思えば、皆に「小菅ヶ谷丸」と呼ばれていた時代が我にとって最も幸福なときだったように思える。誰とも競うことなく、争うことなく、蛙をとったり、トンボを追いかけたりして過ごしたものだ。この世の中に、まだ見ぬ素晴らしい物が溢れていると信じていた。その見えなかったものを、今の我は嫌というほど見ている。そして、それらが決して素晴らしいものではないことも、我は知ってしまった。
「小菅ヶ谷丸」
 先程より少し強い口調で、背後から鬼灯丸が呼ぶのが聞こえる。我ら二人以外誰もいない、静かな竹薮を進みながら、我はなかなか振り返ってやらなかった。
 先程、腐った弁当を食べさせられた事を根に持っているのか? そう尋ねられたら応であり、否だ。
 鬼灯丸の声は、綺麗だ。高い声を、慎重に低く低く聞こえさせようとしているのが我には分かる。が、他の者は、そうとは気付かないだろう。しかし、低くしようが高くしようが、やはり鬼灯丸の声は、風の囁きのように我の耳に届く。美しい声に、まだ幸せだったとき呼ばれていた名前を呼ばれると、ふと嬉しくなる。
 嬉しくなった瞬間、背筋に怖気が走った。
 条件反射で地面に伏せる。本日二度目の苦い土の味に一瞬眉をしかめかけたが、それは頭上を通り過ぎていった「何か」のおぞましい音で固まった。
「……」
 ゴスンッ! と目前の竹に音を立てて刺さったのは、棘のついた鉄球に見えた。そして一瞬後、鉄球の刺さったところからメキメキと音を立てて、かなりの太さを誇るその竹は後ろ向きにゆっくりと倒れた。信じ難い光景に、我の背筋を冷たい汗が流れ落ちる。
「……鬼灯丸?」
「ちっ、はずしたか」
「狙撃宣言!?」
 勢い良く跳ね起きて振り返ると、いつもの通り鬼灯丸はしれっとした顔でこちらを見返した。顔、といってもこやつの場合は、左目意外は頭巾で隠れているため表情は読めないのだが、長い付き合いの我は暗色の頭巾の下で鬼灯丸がどんな顔をしているか分かる。やつは、自らの右手に持っていた何やら銃らしきものをさっと背中に隠して、ふっと溜息をついて
「……落雷は背の高いものに落ちると言う」
「鉄球だったぞ!?」
「……ああ、それだと雷様の太鼓のバチだろうな。それが落ちたのだ」
「竹の真ん中にか!?」
「これぞ自然界の驚異」
「シレッと言うな、シレッと!」
 クソ生意気に横を向いた鬼灯丸にずんずんと近寄りつつ、我は更に怒声を張り上げた。
「貴様、従者のくせに主である我に何度も何度も危害を与えようとしてからに! もう容赦せんぞ!」
「危害ではない、従者愛だ」
「そんな痛い愛は欲しくないっ!」
 鬼灯丸を見下ろして、我はきっぱりと言い切った。遠くからだと鬼灯丸の独特の雰囲気に、情けなくも飲まれそうになる我だが、これだけ近ければさして怖くは無い。なんと言っても、我のほうが鬼灯丸よりも遥かに背が高いのだ。いくら見下ろされた態度をされたとしても、実際にこうやって見下ろしてやると普段言えなかった不満も言えるというもの。
 ここいらで、一度はっきりと主従関係の何たるかを再認識させねばならぬ。
「我の欲しい愛は、もっと包み込むような優しい愛だ! 痛い愛など欲しくない!」
「だが小菅ヶ谷丸、痛いのは好きではないか」
「誤解を招く発言をするな!」
「そう怒鳴るな。もう少しすれば偵察に行っていた佐助も帰ってくるだろう。折角本隊と別行動していると言うのに、そう大声を出していては見つかるぞ」
「ぬっ……」
 的を射た鬼灯丸の言葉に、我は出かかった言葉をかみ殺した。確かに、最もな意見ではある。
 翔の国次期首領ともなる身分だと、何かと他の人間からの妨害が多い。今回の仕事にしても、そうだ。この仕事を遂行すれば、我が首領となる確率はまた一つ高くなる。それ故、それをよく思わない人間達は、この道中で必ずや我を殺害しようとする事だろう。
 そのため、我は、我と本隊とを一時的に切り離す事にした。その方が危険が多いと反対した家臣もいたが、行列を為して表街道を進むよりも、信頼する少数の部下と裏街道を進んでいったほうが確実に時間の短縮となり、また我も、そして本隊も安全であると言える。もし本隊が襲撃されることになっても、やつらの目当てである我がそこにいなければ早々に撤退する事だろうし、何より本隊にしても守るべき我がそこにいなければいざと言う時は自由勝手に逃げられるのだ。仲間の流す血は少ない方がいい。
「分かったのならば、先へ進もう。お前は足が速すぎる。先程の速度で歩かれたら、我は途中でへばってしまうぞ」
「……それこそ口で言えば良い物を。何も鉄球を投げつけるなんてしなくても良かったではないか」
「なにを言うか」
 少し前を進んでいた鬼灯丸が、振り返った。
「呼んだが振り返らなかったのはお前の方だろうに」
「だからと言って主人に鉄球を投げつける馬鹿がどこにいる!」
「大声を出すな。敵が察知するかもしれないだろうが」
「察知するなら貴様の鉄球が起こした音と、竹の折れる音で既に察知されておるわ!」
 我がもう一度怒鳴ると、さっと小菅ヶ谷丸は頭巾の耳の辺りに何かを詰める。耳栓である。
 むかつく。
 しかし、こんなやり取りは昔からだ。
 人間の慣れとは恐ろしく、鬼灯丸が起こす暗殺まがいの戯れに付き合っていたためか、我は常人よりも遥かに強靭で鋭敏な体を持つに至ってしまった。そのおかげで、実際に何度も送り込まれた刺客を自ら撃退し、食事に混ぜられた毒も敏感に察知する事が出来る。
 そう考えれば、やはりこれは鬼灯丸のいう従者愛なのだろうか。
「そうだ、従者愛なのだ」
 と、我の心を読み取った鬼灯丸は、胸を張って言い切った。
……本当に、ムカつく。


3 :菊之助 :2007/08/29(水) 13:32:31 ID:kmnkzJPn

鬼灯丸その弐

 逢魔が刻(おうまがとき)、という時間帯がある。なんという事は無い。薄暗い夕刻をそう呼ぶようになっただけなのだが、その薄暗さと相俟って「大禍時」と同じもの、つまり「禍の起こる時刻」とされている。
 そんな時間になると、自分の神経は我知らずピンと張った弦のように張り詰める。
 本隊から離れた小菅ヶ谷丸の二人行動。それが不安だと言うわけではない。少なくとも、そんじょそこらの野党如きに自分達二人が敗北するわけもない。しかし、それでも昼間の何倍もの警戒心が自分の中に生まれるのは、日頃が日頃なだけだ、ということだろう。
 これまでもそうだったが、この時間帯は一番刺客に狙われやすい。夜間の方が姿を隠しやすいのでは、という意見も勿論あり、そして勿論間違いではない。実際、隠密行動の大半は夜間にて行われるものばかりだ。闇に姿を紛らわせ、必要な情報を傍受する。しかし、それは極一般的な目標の場合で通用する話である。
 夜は人の神経を沈静させると同時に、興奮させる。昼間気が付かなかった何かを夜間になってから発見するというのは、少なくない。自分の話を聞いて何をたわけた事をと思うのならば仕方が無いが、これは紛れも無い事実である。一般人相手(この場合、通常の感覚神経を持っている者をさす)ならば、夜間の奇襲は効果的だろう。しかし、幼い頃より刺客に襲われ続け生き延びてきた小菅ヶ谷丸のような相手ならば、夜間攻撃はむしろ刺客側にとって不利となる。

「どうした、鬼灯丸」
 考えていて自分の足は遅れたらしい。それに気付いたのか、少し前を行く小菅ヶ谷丸が振り返った。眼帯をしていない方の右目がこちらを見ている。
「何かおかしな気配でも掴んだか?」
「おかしなのはお前の顔だ」
「なっ……!」
 きつく言い放って、自分はツカツカと小菅ヶ谷丸の横を通り過ぎる。背後では例の如く「貴様は本当に主人を何だと思っているんだ!」とか何とか叫んでいるが、これまた例の如く自分は気にしない。お前のことを考えていたなんて言おうものならば、小菅ヶ谷丸を舞い上がらせるだけである。おかしな具合に気分が高揚すると隙が生まれ、隙が生まれると殺される。
 なんと言っても、今は逢魔が刻なのだ。西日によって視界が遮られ、赤い日差しは何もかもを見えにくくする。夜間の襲撃に慣れている者が一番油断する時間帯。今の速度で行けば、深夜前に本隊と目的地で合流できる事だろう。先程自分の元に届いた佐助の報告では、まだ本隊は襲撃されていないとのことだった。このまま何事も無く目的地に辿り着ける可能性も出てきたわけだが、目的地直前で本隊と、そして本丸とも言える小菅ヶ谷丸が襲撃される確立も相変わらず高い。正念場はまさに今からなのだ。

「小菅ヶ谷丸」
「なんだ」
 自分がそう言って呼びかけると、自分の主人はまだ不機嫌な顔をしてそれでも一応返事する。世間では「若いくせに喰えない策士」とも噂される小菅ヶ谷丸だが、自分の前では元来素直である。その主人の前で、自分は左腕を突き出した。その様子に小菅ヶ谷丸は眉をしかめる。
「それは気が早すぎる。刺客が現れてからでも遅くはない」
「今回の仕事がどれだけ翔の国にとって大きな物か、次期首領であるお前が一番分かっているはずだ」
「分かっているとも、当たり前だ。(かい)の国は小国といえども資源が豊富だからな。そこと同盟を組み、資源援助をしてもらえたならば、北方地域の者達が安心して冬を越せる」
「なればこそ、他の者達はお前が塊の国に到着するのを全力で阻止しにくるはずだ」
 自分が淡々とそう告げると、小菅ヶ谷丸はふっ……とその顔に苦い笑みを浮かべた。
「馬鹿馬鹿しいな」
「馬鹿馬鹿しくない。自分は真面目に言っている」
「分かっている。貴様のことを言ったのではない。我が言っているのは他の権力者達のことだ」
 言って、小菅ヶ谷丸は筋肉の付いた逞しい左腕で、布と篭手でしっかり隠された自らの右腕を掴んだ。
「同じ国の者同士だというのに、権力に目を奪われて正しい道筋が見えなくなっている奴らが多すぎる。塊の国と同盟を結べたらならば、国全体を良い方向へ導けると言うのにな」
「歩きすぎて、頭に血が回らなくなったか小菅ヶ谷丸」
 愚かな自国の権力者達に苦笑する主人に対して、自分は突き放すように冷たく言い放った。しかし自分のそんな言葉に、小菅ヶ谷丸は先程のように怒り狂いはしない。ただ静かに右目を一度閉じて、深く息を吐いた。
 次にヤツが目を開いた時、そこに映っているのは次期首領たる決意の光。
「すまんな、鬼灯丸。少し弱気になっていたらしい」
「いつものことだ。自分はもう慣れた」
「相変わらず厳しい発言だな……しかし、ギリギリまで左腕の使用は禁ずるぞ、鬼灯丸」
 きっぱりと言い切られ、自分は仕方なく突き出していた左腕を体の横に戻す。
 こんな時の小菅ヶ谷丸の命令は、逆らいようの無い響きが含まれていて、自分は不本意であるが従うしかなくなるのだ。
 黙りこんだ自分を見て機嫌を良くしたのか、小菅ヶ谷丸は自らの右肩をグルグル回して再び歩き始める。
「早くしないと、トモ達が泣きかねん。行くぞ、鬼灯丸」
「命令をするな」
 言い返しつつ、自分は小菅ヶ谷丸の数歩後ろを付いていく。

 そのときだ。

 暮れ行く空から、何か飛来してくるのを左目だけで察知した自分は、前を歩く小菅ヶ谷丸を思いっきり突き飛ばす。
「ぐへっ!」
 突然の自分の行動を全く予期していなかったのだろう、小菅ヶ谷丸は本日三度目となる『地面に顔面ダイブ』をしてみせた。スザザッと、皮膚と土とが擦れる如何にも痛そうな音がしたが、自分はそんなことに気を留めている暇は無かった。先程まで自分と小菅ヶ谷丸が立っていた場所に、刃物が刺さっている。
 否、それは刃物ではなく、俗に棒手裏剣と呼ばれる鋭い忍具だ。
「ほ、ほおずきまる……」
「敵だ!」
 鼻血を流して非難めいた声を出す小菅ヶ谷丸に、自分は一言そう叫んだ。瞬間、小菅ヶ谷丸の顔つきが変わる。
「来るぞ!」
 もう一度自分が叫んだと同時に、再び頭上から棒手裏剣が降ってきた。しかし、それは自分にも、そして小菅ヶ谷丸にも当たる事は無い。
 すぐさま跳ね起きた自分の主人は、自分と同じようにすぐさま後方に跳び、敵からの攻撃を難なく避けてゆく。一瞬、竹薮の中に動揺の気配が走った。勿論、自分と主人の物ではない。だとすれば、その動揺は自分達を狙った刺客のものだ。
 それもそのはずである。
 明らかに護衛の格好をしている自分が、主人とは反対方向へと跳んだからだろう。通常ならば、護衛たるものはいかなる場合においても主人を守るため、その側を離れない。場合によっては、その身をもって盾の役割も果たすのが、主人付の護衛という者である。
 しかし、生憎ながら自分と小菅ヶ谷丸は、確かに主従の関係ではあるものの世間でいう「護衛と主人」の関係ではない。
 少し離れた竹に身を隠し、小菅ヶ谷丸が自分のいる方向へと視線を投げる。自慢ではないが自分は気配を完全に絶っており、なおかつ主人同様竹薮に潜めている。易々と見つかるはずも無い。それを証拠に、あれほど投げられていた手裏剣が、今は降ってこない。刺客は完全に我らを見失ったのだ。それでも自分と小菅ヶ谷丸は、互いの場所を理解していた。姿が見えなくとも、自分たち二人は互いの居場所を知ることが出来て、同時に意思疎通も可能である。どうしてそんなことが可能なのか? その理由など分からない。ただ言えるのは、自分達の関係は「そういう関係」であるということだ。

『刺客は3人か?』
 頭に響いた小菅ヶ谷丸の声に、自分は同じく声に出さずに答える。
『恐らく。寅の方角に一人、午の方角に二人』
『楽勝だな。左腕は使うなよ』
『……分かった』
 不本意な命令に、それでも自分は渋々承諾する。そして、腰に差していた小太刀の柄をそっと右腕で握った。
 同じく、離れた竹薮に隠れた小菅ヶ谷丸も、佩いていた太刀の柄に左手をかけている。
 勝負は一瞬だ。
 敵の動揺がますます強くなるのが、自分にはわかった。竹薮を揺らす風の音。全てを間際らしくさせる夕刻の光。
 それらを逆手に取るのは、自分達である。

 合図をしたわけではない。
 だが、自分と小菅ヶ谷丸は同時に竹薮から飛び出すと、敵のいると思われる方向へと互いに得物を構えるのだった。


4 :菊之助 :2007/08/29(水) 18:24:59 ID:kmnkzJPn

犬山忠友その壱

 見上げると、細い月を薄雲が隠そうとしていたので、思わず唇を突き出し、拙者(せっしゃ)は雲に向かって懸命に息を吹きかけていた。もちろん、地上からの拙者の息が天空の雲に届くわけは無いのだが、折しも突風が吹きつけて雲は晴れていく。……うむ、満足。
「……何笑ってんだよ、旦那」
「おぉっ!?」
 背後から前触れも為しに声をかけられて、拙者は思わず振り向きざまに得物を一閃する! が、瞬間視界に映った見知った顔に、相手の脳天に向かって振り下ろす直前で、拙者は槍を止めた。頭上すれすれで停止した穂先を恨めしげに見上げるのは、鈍色(にびいろ)の髪をした青年だ。
「なんだ、鳶か」
「ナンダトビカ、じゃないでしょーが。出発時から旦那がおかしな行動ばっかしてるから、ほら見ろ。みんな皆不審がってるぜ」
 鳶こと石原名鳶十(いさなとびじゅう)に言われ、拙者は槍を下げつつ、野営を張っている部下達を振り返った。塊の国への献上品を乗せた馬車達の脇に座った部下達は、各々夕餉の支度をしたり、得物の手入れをしたりしている。皆一応に下を向き、自分達の作業に集中する姿は、どこもおかしなところは無い。
「何も問題ないようだが」
「……今みんなが一斉に目をそらしたの、旦那気が付かなかったのかよ?」
「そうなのか?」
 言われたので改めて部下達に視線を向けると、なるほど、彼らは一斉に下を向いた。
「……何故だ?」
「旦那がおかしな行動ばっかしてるからだって、俺今言ったよね?」
「おかしな行動?」
 拙者のどこにおかしなところがあっただろうか? 
 不思議に思って首をかしげていると、鳶は自らの腰に引っ掛けている得物の鎖をちゃらちゃらと音をたてて触りながら、ハァッと大きな溜息を一つ。そういえば、この道中で鳶の溜息の数は極端に増えた。忍びという職業のくせに、堂々と道端を歩かされている事(もちろん、そのように命令したのは鳶の主人である拙者なのだが)に少しばかり疲れたのだろうかと思っていたのだが、そうではなかったのだろうか。
「あのね、旦那」
 鳶の溜息の原因について考えていると、やつの方から話を振ってきた。なにやら説教されるような雰囲気を感じ取った拙者は少し身を引いたのだが、それに合わせて鳶は一歩確実に前に出る。目をそらそうとした拙者の頭をワシリと掴んで無理やりやつの方を向かせると、鳶は低く呟いた。
犬山忠友(いぬやまただとも)といえば隣国に名を馳せる凄腕千人長なわけよ? なのに、その千人長が別行動中の主人を思い出してはお舘様〜お舘様〜って道中ずっと嘆いてるのは、世間ではおかしい行動って言うんだぜ?」
「嘆いてなどいない! 拙者は純粋にお館様を思って、その思いが口をついて出ただけでござる!」
 心外な言葉に拙者はつい声を荒げる。が、鳶は再び溜息を吐いただけで、
「それを世間では嘆いてるっていうんだよ、旦那……」
「そ、そうなのか」
「……まったく、しっかりしてくれよな、犬山の旦那。今のこの本隊の責任者は、あんたなんだぜ?」
 鳶の言葉につられるようにして、他の部下達の首が縦に何度も動いたのが見えた。ちらりとそちらを見ると、やはり部下は慌てた様子で下を向く。
「……」
「ほらな。皆、旦那の事を思って旦那の行動を敢えて突っ込まないようにしてたけど、目的地直前ともなるといい加減呆れてくるってもんだ」
「……だけど、な。鳶」
「うん?」
 黙々と作業を続ける部下達の様子を横目に、拙者は拙者の右腕とも言える忍びの首をぐいっと引き寄せた。突然の拙者の行動にもたたらを踏まなかった鳶は流石と呼ぶに値するだろうが、そんなことを気にかけていられない。なにやら迷惑そうな顔つきの鳶の耳元で、他の部下に見えないよう口元を隠しつつ拙者は尋ねた。
「……お舘様から、何か連絡はござらんか?」
「……旦那。そりゃ主を心配する気持ちは忠義だけどさ」
「そう、忠義でござるよ」
 まだ口を挟もうとする忍びの言葉を遮って、拙者は更に言う。
「予定ではお舘様との合流は今夜のはずでござる。それなのに、まだ何の連絡も無いのは何かあったのではと思うのが普通でござろう? 第一、お舘様の護衛は鬼灯丸殿だけで、拙者心配なのでござるよ」
「……鬼灯丸殿はめちゃくちゃ強いじゃねーか、旦那」
「……知っている」
 そう答えた拙者の脳裏には、幼き頃の鬼灯丸殿との悪夢が蘇る。
 お舘様の家臣となるべくお屋敷に引き取ってもらって幾日か過ぎたある日、まだ八歳だった拙者は「危ないから近寄らないように」と注意されていた崖に好奇心で近寄って、危うく落ちかけた。拙者の悲鳴を聞いてすぐさま助けに来てくださったのがお舘様で、「あれほど近寄るなと言っただろうが」と拙者を激しく叱ったのが鬼灯丸殿である。その時の鬼灯丸殿の恐ろしさときたら、今でも時たま夢に見るほどだ。あれ以来、拙者は怖くて崖に近寄れなくなった。
 当時を思い出した拙者の体に鳥肌が立った。が、今鬼灯丸殿はいないわけだ。何をおそれている、忠友。自分を叱咤して拙者はすぐさま気を取り直すと、再び口を開いた。
「しかし、だ、鳶。鬼灯丸殿とてしくじる事もあるかもしれないではないか。そんな時、いったい誰がお舘様をお守りする?!」
「そんなの、お舘様の腕前ならば自分で自分の身を守るくらい軽いだろうけど」
「それはもう、お舘様は最強最高の武将であられるから勿論そうでござろうが」
「……俺、そこまで誉めてないけど」
「とにかく、そんなお舘様でも体調の悪い時があるかも知れぬだろう? そんな時、二人では何かと不便だ。不便ということは、つまり危険だ。危険ということは即ち心配だ!」
「……要するに旦那は、お舘様が一緒に連れて行ってくれなかったことが不満なんだね?」
 ずばり本心を言い当てられて、拙者は思わず鳶の肩から手を放してザザッと後退った。なんでこやつ、こんなにも拙者の心が分かるのか! はっ、もしやこれが!
「……えすぱー、というヤツか、鳶?」
「え? 何?」
「いつの間に拙者の心を読めるようになったでござるか!」
「……旦那と一日一緒にいたら、大抵の人間は旦那が何を考えてるかわかると思うけど」
「なんと! 世の中にはそんなにえすぱーが増殖中でござるか!」
「増殖って……そもそも、えすぱーって何?」
 鳶があからさまに眉をしかめて聞いてきたが、拙者は答えない。以前隣国の者と形式試合で一戦交えた時、ヤツが「心が読めるものを大国ではえすぱーと言う」といっていたのを思い出したから使ってみただけで、実際それが何なのか拙者も知らないのである。だが、そんなこと一主として言えるわけもない。
 男は語らぬほうが良いのである。
 そんなわけで黙り込んだ拙者を眺めて、三度鳶が溜息を吐いた。
「ま、俺は別にいいんだけどさ。それよりご飯はもうすぐだから、旦那、ちゃんと手を洗っておくようにね」
「……今日こそお舘様と一緒に食事できると思っていたでござるが」
「……旦那ももう十七なんだからさ、そろそろお舘様離れした方がいいと、俺は思うよ」
「……お舘様」
 別行動しているお舘様を思って夜空を見上げた。
 いまやすっかり雲は晴れ、月が煌々と輝いている。この月明かりがあれば、お舘様の道行きも楽であろう。
 どうか御無事であって下され、お舘様。お舘様がご不在の間、この犬山忠友はお言いつけ通りちゃんと本隊を目的地まで進めてきましたゆえ。
 だから、合流したあかつきには、拙者のことを誉めてくだされ。
 ああ、お舘様。
 思いが込上げてきた拙者は、同じ月の下、拙者の元に進んでおられるお舘様に届けとばかり、夜空に向かって叫んだ。
「おぉぉ舘さまぁあぁーっ!」
「……だから旦那。それがおかしい行動だって、俺、もう何回も言ったよね……」
 拙者の叫びは夜空に響き渡り、きっとお舘様の元にまで届いた事であろう。
 だから拙者は泣かない。負けない。それが千人長たる自分のけじめなのである。
 そして、与えられた任務をこなすためには、空腹ではいけない。
 
 そんなわけで、ご飯である!


5 :菊之助 :2007/08/29(水) 18:41:07 ID:kmnkzJPn

石原名鳶十その壱

 従者である俺が言うのもなんだが、俺の主は子供だ。主というのは、「お舘様……」とベソをかきつつ火の番をしながら居眠りぶっこいてる犬山忠友のことである。
 この主、家柄は小国の三男坊で決して悪くないのだが、どうにもこうにも熱血漢で真っ直ぐすぎる。幼い日に九鬼(くき)城へ人質に等しい形で預けられたらしいが、そんな過去を微塵も感じさせず、今だって九鬼家の当主に「お舘様っ!」と笑顔で仕えているわけだから、俺としては全く理解できない。そんな性格の人物を世間では「大物」と言ったりするのかもしれないが、俺から言わせれば、そして犬山の旦那を知っている他の人間から言わせれば、単に犬山の旦那が物事を深く考えない、言い換えれば「子供」なのだと言うだろう。
 だいたい十七なんて多感な時期に、女子のことをちっとも考えず「お舘様、お舘様」言っているのは、俺には全く理解できない。今でこそ落ち着いている俺だけど、旦那と同じ年頃の時はそりゃあ毎日色々と大変だったんだぜ。考える事は女の裸ばかりで。そのたびに忍びの頭目に「けしからんっ」と怒られたもんだ。……そういやぁ、暫く里に帰ってねーな。頭目、元気にしてるかな。
 ……違う違う、そんな青臭い俺の青春を話したかったのではない。そう、つまり主の犬山忠友が子供過ぎるため、従者兼忍びである俺は毎回要らぬ気苦労をかけられて心身共に疲れきっていると言いたかったのだ。今だって当にそれだ。火の番だというのに、焚き火の前で本人がすっかり眠り込んでいるので、俺が代わりに火の番をしている。いやさ、いいんだけどね。もう慣れちゃってるからさ。だけどたまに、どうして俺はこの人の従者をしているのかなぁなんて考えてしまう。確かに槍の腕前は超一流、若干十七歳にして既に千人長を任されるくらいなのだから武人としては相当のものだ。いやさ、だけど。旦那にこう、なんだ、もう少し落ち着きを持って欲しいなぁとか、大人になってほしいなぁとか思ってしまうのは、決して大それた願い事じゃないと俺は思うんだけどね。

「うふひひ……お舘様……タダトモはもうお腹一杯でござるよぉ……」
「……」
 自分の腕に顔をうずめつつ、旦那がニヤニヤとした笑顔で寝言をぶっこいた。……あらら、本当に幸せそうな顔してるよ。でもそれって、十七の若者男子としてどうなのかねぇ。
 俺はもう何度目かもわからない溜息を更にもう一つ吐いてから、炎の中に枝をくべた。既に塊の国の領域に到達した今、さすがに刺客が来るとは思えない。だからだろう。ここ数日、本隊内に張り詰めていた緊張がここに来て漸く解かれたのか、他の部下達も各々が守る馬車の脇で鼾をかいている。
 
 今回、領主から九鬼のお舘様に与えられた仕事は、塊の国と同盟関係を結んでくることだった。
 塊の国といえば小国ではあるが、鉄や銅などの資源に恵まれていることで有名だ。しかし小国であるが故の警戒心が根強くあるらしく、これまで他国と同盟を結んだことは無いと聞く。採れた鉄や銅を輸出はしているものの、極少量ずつを多くの国に流すといった輸出の仕方のため、特に繋がりが太い国も無いらしい。そんなところに、首領同士で何度か書状の行き来をしたとはいえ、首領ではないお舘様――つまり九鬼(くき)の旦那だ――が行ったところで到底同盟が結ばれるとは思えない、というのが俺の意見である。
 確かに塊の国と同盟を結べたならば、鉄と銅の輸入権を独り占めできるようなものではあるし、それによって翔の国が豊かになることは分かる。それに、翔の国の軍事力はここいらでは一番だから、万が一塊の国が他の国からの侵略を受けたとしても翔の国という力強い助っ人がいれば心頼もしいだろう。傍目から見れば、両者共に損得無いようにも思えるのだが。
 そう、だがしかし、である。十五年前の宋大岳(そうだいごく)の戦いから最近まで、これといって大きな戦は起こっていない。そんな状況で「もし貴国が攻め入られた際は、自国が必ず助けに参りましょう」なんて言われたとしても、とてもじゃないがあの塊の国がそれを受けるとは思えないのだ。
 
 もう一つ焚き火に枝をくべて、俺は顔を上げた。見上げた先にあるのは、同盟の誓いとしての献上品の数々。否、それらが詰め込まれた馬車の方向を見て、俺は肩をすくめる。
 翔の国の軍事力は、何も兵士達の力がずば抜けて強いから言われているわけではない。卓越した戦術。新しい兵器を生み出す力。それらが総合して軍事力へと繋がっている。
 そして新しい兵器を生み出す力があるのは、何も翔の国が戦争好きだからというわけではない。寧ろ、今の首領の代になってから戦事は遠くなり、同盟関係を結ぶといった平和的主義的な傾向が強くなってきている。
 では、何が新しい兵器を生み出すのか。それは翔の国の人々が持つ、匠の腕だ。
 そもそも翔の国は軍事ではなく、工芸や建築物といった雅やかなもので他国に知られる国だったと聞く。しかし先に起こった百年戦争ではそうも言っていられなくなり、職人達は陶器の代わりに兵器を、着物の代わりに鎧を、建築の代わりに要塞を作ることでめきめきと軍事に対しても頭角を現し、気が付けば西国一の軍事力を誇るに至ったとらしい。
 兵器を必要としなくなった今、職人の腕は元の工芸を作るために振るわれるようになり、彼らが作り出した特級品とも呼べそうな作品の数々が、今俺達の守る馬車に乗せられているわけだ。馬車の数は計三台。それを守る護衛の数は、俺や犬山の旦那を含めると三十五名。この護衛の数が少ないか多いかと問われると、はっきり少ないと言えるだろう。山間で大人数の山賊に囲まれたら、まず無事ではすまない。そう、普通ならば。

「うぅ〜んお舘様ぁ〜……それは拙者の栗饅頭でございますよほぉ……」
「……」
 再びつむぎ出された犬山の旦那の寝言に、俺は頬を引きつらせた。この人の頭ン中は、きっとお舘様と食い物(特に甘味)でいっぱいなのだろう。その間抜けな寝顔を見るたびに、俺は戦場においての主人の姿との落差に思い悩むことになるのだ。
 千人長とは、つまり一人で武人千人分の働きをする者に与えられるこの称号である。他国からすれば「なんと大袈裟な」と言われるかもしれないが、自国である翔の国、特に九鬼家からすれば「千人長」は決して誇張ではない。以前俺は何度か、犬山の旦那が戦っている姿を見たことがある。それは形式試合だったり、九鬼のお舘様に向けられた刺客(俺達のお舘様は翔の国次期首領なんて立場にあるから、そりゃあ毎日山のように刺客が仕向けられるのだ)相手だったりと様々だが、ひとたび槍を握った犬山の旦那は修羅のごとき強さなのだ。風を巻きながら槍を振るその姿に、見ただけで戦意を喪失された者は決して少なくない。その旦那が今回の護衛の責任者ともなれば、自然と護衛の人数が減るのも頷ける。一人で千人分の働きをする男がいるというのに、それ以上護衛を増やすのは誰が見たって賢くないのは分かるだろう。
 ……しかしなぁ。思って俺は居眠りを続ける主人の顔を盗み見る。武人として力があるのも分かる。そして、それなりに部下からの信頼を集めているのも知っている。だが、だがである。自分の主人に言うのもなんだが、もう少し世間の評判に会うだけの性格を持ち合わせてくれてもいいんじゃないかなぁと、俺は思う。

「ぎゃひっ!」
 その時、眠っていた旦那が悲鳴とも思える叫びを発して、目を覚ました。その後膝を抱えたまま目を大きく見開き、大きく体を震わせて目の前の炎を見詰めている。
 突然の様子に、俺は少しばかり慌てた。子供っぽい性格のためか、これまで動揺らしい動揺を見せたことのない犬山の旦那が、そんなに驚くとは。俺が物思いに耽っていたために、まさか刺客の侵入を許したとでもいうのか!?
「旦那! 旦那、大丈夫か!?」
 慌てて俺は焚き火の向こうにいる旦那に近付き、呼びかけた。もし毒矢でも打たれていたら下手に揺する方が危険だ。そのため肩を叩いてこちらに注意を引き寄せず、俺は旦那に大声で呼びかける。俺の声の大きさに、部下の幾人かが目を覚ましてしまったようだが気にして入られない。暫く呼びかけていると、俺の存在に気が付いたのか、見開いた目のままで旦那はゆっくりとこちらを振り返った。
「……鳶?」
 俺に名前を呼ばれて、見開いてはいるがぼんやりとした眼差しのまま旦那は俺の名を呟く。まだ夢と現をさ迷う目は、それでも夜気の冷たさに次第に冷めていったようだ。次第に現時見を帯び始める旦那の目に、俺の姿が映っている。途端、旦那はほーっと長く息を吐いて自身の膝を抱えなおした。
 何だ、どうしたんだ?
「夢だったのか……」
「夢? 何が?」
 思いもしなかった言葉に、俺は部下の目も気にせず問い掛けた。膝の隙間から見える旦那の顔は、月明かりのためか少しばかり青ざめていた。青年と少年の境目にいる顔つきが、不安な心情を写し取ったためかひどく幼く見える。
 俺は黙って旦那の次の言葉を待った。待つことも、良い従者の条件だ。
 俺が何も聞かなかったせいで旦那は少しだが落ち着いたのだろう。自分の額当てに手をかけそれが汗で湿っているのを確認してから、旦那はもう一度長く息を吐いた。それから徐に口を開く。
「……拙者とお舘様がな?」
「うん?」
 冷静に聞き返しながら、俺の頭には自らの溜息の声が聞こえた。
 また、お舘様かよ。本当に、好きだねぇ旦那は。というか、アレだけの悲鳴を上げておきながら、マジで全部夢だったわけか? 普段、夢なんて見ない俺からすれば、もうそれだけで尊敬に値するよ、旦那……。
 しかし俺の呆れた顔に犬山の旦那が気付くなんてことは勿論無い。見た夢を思い出し、しっかりと己の肩を抱きながら、旦那は続ける。
「二人で花見をしているんだ。いっぱいに菓子を詰め込んだ重箱持参で、蜂ヶ丘の桜並木で。栗饅頭を食べあって、楽しかったのだが……」
 ……栗饅頭ね。それでさっきの寝言か。だけど、お舘様は犬山の旦那と違って、酒と煙管を愛するバリバリの辛党なんだから、栗饅頭は無いだろう。ま、夢だから別にいいんだけどさ。その間も、俺の心情には気にした様子も無く、旦那は言葉を続けていた。

「それで途中まで楽しかったんだがな。……突然、あたりに雷雲が立ち込め、大雨が降り出したので拙者はお舘様に帰りましょう! と叫んだところで……」
「ところで?」
 そう聞き返すと、犬山の旦那は心底怯えた様子でゆっくりと顔を上げた。茶色いその目が月明かりに輝いている。その目の輝きに、恐ろしい夢の結末を想像してしまったからか俺の喉がごくりとなった。
 旦那は少しの沈黙の後、それ以上恐怖を自分の中にだけ溜め込んでおくのが恐ろしくなったのか、ひどくゆっくりとした口調で話を続ける。
「振り返ったお舘様がな……」
「……うん」
 他人の夢とはいえ、恐ろしい物は恐ろしい。身を固くする俺に、旦那は一言、しかしはっきりと呟いた。
「鬼灯丸殿に変わっていたのだ!」
「……へ?」
「怖いだろう、鳶!?」
「そ、そりゃ怖い!」
 予想外というよりも拍子抜けの感が強かった結末に、しかし俺は従者として、ひどく怖がって見せた。……余談だが、こういうのも俺の心的疲労となるのである。が、俺の反応に満足したのか、旦那は矢継ぎ早に自分の味わった恐怖を更に詳しく語りだした。
「そうだ怖かった、怖かったんだ! しかも鬼灯丸殿の左目がギランと光ってだな、拙者に「いつまで遊んでいる、この犬……」とそりゃもう地の底から響くような恐ろしい声で話しかけられて、怖いの、怖くないの、拙者は訳が分からなくなったぞ!」
「……ああ、うん、旦那。気持ちは分かるけど、夜中だしもう少し小さな声でね? 部下も疲れて眠っているわけだから」
「夜中! そうだ、こんな時間になってもお舘様はまだ到着されていないのか? 連絡はなかったでござるか、鳶!」
 突如そう切り出し、身を乗り出してきた旦那を見て、俺は頭を抱え込んだ。
 しまったぁ、地雷踏んだ!
 今の旦那に時刻の話は禁句だったのに、なんで話しちゃったんだよ俺!? 疲れてるにしても、その発言が更なる疲労を招き寄せると考えなかったのか俺!? 一分前の俺の大馬鹿野郎!
 ……しかし、いつまでも個人の動揺を見せているなど、およそ忍びの道から外れている。そう思いなおし、俺は深く息を吸い込み吐き出すと、なるたけ表情を固定したまま、事実のみを主人に言い放った。
「……連絡はまだ無いよ、旦那」
「ならば、今こそ拙者がお舘様をお迎えに上がらねば!」
「なんでそうなるんだよ!?」
 スックと立ち上がった犬山の旦那を、俺は慌てて座らせる。せっかくの俺の無表情が、これじゃ水の泡じゃないか!
 旦那の声に、眠っていた部下の更に何名かが目を覚ましたようだ。あからさまに「またですか、犬山様……」と言いたげな眼差しをこちらに向けてくる彼らに、俺は適当な笑顔を向けてなんとか旦那を落ち着かせようとする。
「いいかい旦那。今は夜中だぜ? こんな時間に本隊責任者であるアンタが隊を離れたらまずいだろう?」
「ならば夜明けにも出立!」
「……だぁから聞きなよ、旦那。責任者はつまり全ての責を任されているヤツの事をいうんだぜ? 旦那はお舘様から本隊護衛を任されたんだろ? なら旦那がここを離れるのは朝だろうが夜だろうがしちゃいけないよ」
「ならば、鳶」
 ……あ、いやな予感。
「お前がお舘様をお迎えに行ってくれ」
 いけしゃあしゃあと言い放たれた主人の言葉に、俺は大きな溜息を改めて吐き出した。予感的中とは当にこのことだ。しかし、主人の命令とならば逆らう事は忍びには出来ない。
 ……忍びとは、つまり理不尽な主人の申し出に堪える仕事なのである。



 再度旅装を纏った俺は、少し眉をしかめた表情で主人である犬山忠友を振り返る。
「……じゃあ、俺、今からお舘様がいそうな場所を探してくるからさ。昼時まで待って俺が帰らなかったり、お舘様が来なかったら、翔の国に伝令を出すんだよ、旦那?」
「うむ、心得た」
 部下達が休む中、犬山の旦那は声を潜めて頷く。俺がお舘様達を探しに行くのを承諾した事で、どうやら冷静さを取り戻したらしい。愛用の槍をしっかり握りながら立つ姿は、確かに千人長と呼ばれるだけあるように見える。そのことに少しホッとしつつ(あのまま暴れられていたらと思うと、それだけで頭が痛くなるんだ……)俺は頭の中に突如浮かんだ「部下である俺の指示に頷く主人ってどうなの?」という考えを慌てて振り払った。
 思っていても思わなかったフリをするのが、忍びの勤めの一つだ。しかし、その時新たな言葉がふと俺の頭に浮かぶ。訊かない方がいい、と自分では分かっているのだが、それでも訊いてみたくなるのは、理不尽な扱いをする主人が、理不尽な扱いをしている部下――つまり、俺だ――に対して何かしらの愛情(引かないでくれ、自分で言ってても何か違うと分かってるからさ……)を抱いているか確認したかったからなのだろう。

 俺は改めて犬山の旦那を振り返る。てっきり俺が出発するものだと思っていたのだろう、旦那はどうした? と言わんばかりに首を捻ってこちらを見返した。その様子に少しばかり勢いをそがれたが、そもそも旦那に仕えてからの四年間、俺の勢いはどんどん殺がれてばかりだ。何を今更というのは、この理不尽な旦那の、俺に対する理不尽な扱いのためにあるような言葉である。そう、何を今更躊躇している。だから、思い切って訊いてみた。
「旦那」
「何だ?」
「もし先にお舘様が戻ってきて俺が戻らなかったら、その時は俺のことなんか気にしないで先に進むんだぜ?」
「もちろんだ!」
 俺の言葉に、間髪いれず力強く頷く犬山の旦那。うわぁ、予想とおりだよ、訊かなきゃよかった。
 ……いやさ。旦那にとって一番大事なのはお舘様だって分かってるし、それをどうこう言うつもりも無いんだけどさ。でも、もっと部下のことを労ったりとか、気にしてやったりとか出来ないかねぇ……。仮にも俺、旦那のわがままで疲れてんのに夜中に一人出発するんだぜ? せめて、少し気にした様子でも見せて「……ああ、わかった」とでも言ってくれてもいいんじゃない?
「なんだ? 何かいったか、鳶?」
「……なんでもない」
 俺は大きく溜息を漏らして、それだけ答えた。本当、何を今更だな。お舘様しか見えてないような旦那に、俺への気遣いを望むことが馬鹿だったんだ。なんだろうなぁ、この感覚。……ああ、あれか。我侭な息子を持つ「お母さん」気持ちってこんなのかなぁ。と言うか、二十三の若者である俺がそんな気持ち理解してどうするよ? 
 それでも仕方ない。仕事は仕事だ。
 そう割り切って、グッと前を向く。野営の火が届かない闇の向こうには、ここいら辺りの山では珍しく竹林が広がっていた。予定ではお舘様達は、この竹林を通って俺達と合流するはずだ。深夜とはいえまだ月も出ている今、上から探せばさして時間もかからず二人を見つけられるだろう。

 考えて、俺は竹林に向かって跳ぼうとした。
 その時だ。
「誰だ!」
 忍びの性分なのかもしれない。暗闇の向こうに気配を感じた俺は、条件反射に篭手からクナイを取り出して、構えた。腰から下げた得物には、まだ触らない。相手の姿を確認する前に手のうち全てを見せるような二流の忍びと、俺とは違う。
 ちらりと横を見ると、犬山の旦那は既に己の槍を手に警戒態勢をとっていた。気配を感じたというよりも、俺の声に反応して構えたのだろう。咄嗟だというのに一縷の隙も無いその構えは、流石というか何というか、本当に頼もしい主人である。だが今の状況で旦那に感心ばかりしてはいられない。
 こんな夜中に、しかも宿場から離れた山の中を歩く人間なんて、怪しいヤツに違いない(俺達もまさにそうなのだが、それはこの際置いておこう)。俺たちの隊は襲撃を逃れるため、進みやすい表街道ではなく、整備されていないがその分襲撃されにくいと思われる裏街道をわざわざ進んできたのだ。そんなところを好んで夜中に出歩く一般市民なんて、いるわけがない。気配を隠さないところ刺客ではないだろうが、山賊の類かもしれないと考え、俺の体には自然力がこもった。
 もしこれで相手が何の反応も示さなかったら、俺は迷うことなく手の中のクナイを投げるつもりだ。先手必勝。やられる前にやれ、というのが俺が幼い頃から教えられた全て。だから俺としては、今でも既にかなり待っている方なのだ。
 闇の向こうから返事は無い。それでも相手は確実にこちらに近寄ってくるのがわかる。これ以上は待てない!
 しかし、手の中からクナイが離れる直前に、暗闇の向こうから聞こえた声に俺は思わず動きを止めたのだ。


6 :菊之助 :2007/08/29(水) 18:48:01 ID:kmnkzJPn

犬山忠友その弐

 低く、だが優しいその声が耳に届いた瞬間、拙者は持っていた槍を放り投げて駆けていた!
「よお、待たせたな」
「おぉおおぉ館さまぁあぁあっっ!!」
 喉の奥からほとばしった声は、夜の帳を跳ね除けそうなほどだと自分でも思う。しかし仕方が無い。
 暗闇の中、姿は見えなくても分かるその気配。立ち止まってなんていられないではないか!
 背後で鳶が何か言ったような気もしたが、そんなことに気をとられている拙者ではなかった。とにかく今は、少しでも早くお舘様のお姿を! そして誉めてもらうのだ!!
 地を蹴り、月光さえも撥ね退けるようにして一目散に駆ける拙者。
 だが、しかしっ。
「五月蝿い、この犬」
 眼前に広がる竹林から聞こえた声に、背筋がぞわりと粟立った。反射的に踵を踏みしめ止ろうとしたが、如何せん速度が上がりすぎていて停止する事が出来ない。
 しまったと拙者が思うよりも早く、暗がりの中から風を切って現れたのはスラリとした黒い足、だった。
 そして世界はひっくり返る。



「……モ、トモ、大丈夫か?」
「……う」
 名前を呼ばれて拙者は幾度か瞬きをする。意識的に瞬きをする、ということはつまり、拙者はそれまで気を失っていたということか? 背に広がる地面の冷たさに思わず眉をしかめる。しかし何故気絶したのだろうか? 不思議に思っていると、拙者に向かって心配そうな声がかけられる。
「トモ、気が付いたか?」
「……お」
 そのお顔が視界に入ったと同時に、拙者の頭はまるで霧が晴れたかのように鮮明になった。
 月光を受けて輝く逆巻いた銀糸の髪。鋭くも凛々しく、それでいて優しげなお顔立ち。 そしてその左目を覆う大振りな眼帯。
「……お」
「お? トモ、まだどこか痛いのか?」
 そのお声に拙者は大声で答えた。
「おぉおお館様ぁあぁっ!」
 待ちに待った主が目の前にいる。これが抱きつかないでいられようか!? 腹筋のみで勢いよく飛び起きた拙者は、そのまま目の前のお舘様に抱きつこうと腕を伸ばした。
 が。
「黙れ、この犬」
 聞くだけで背筋が冷たくなる声。それと共に再び拙者の視界に広がったのは。


 足。
「ごふっ!」
「トモっ!」
「い、犬山の旦那!?」
 顔面を踏まれ地面に再び倒れこまされた拙者の耳に、お舘様と鳶の声が聞こえた。しかし、それに答えることなど出来るわけも無い。なぜならば、拙者は今顔面を踏まれており、その踏んでいる人物こそが、拙者がこの世で最も恐れるお方だったからである。
「……忠友。お前はいつになったら落ち着くのだ?」
 聞いた者全ての背筋をヒヤリとさせるような、冷たい声。そのお方は、拙者が抵抗せず大の字に地面に倒れたままなのを確認して、漸く足をどけてくれた。
 月の逆光を浴びたそのお姿から、まず初めに受ける印象は、闇。
 夜の暗闇よりもなお濃い闇色の衣を全身に纏ったその人物は、お舘様の召使である鬼灯丸殿だ。一縷の隙も無い鬼灯丸殿の姿を改めてみて、一瞬体が強ばる。相手が殺気を出しているわけでもないのにこちらの体が強ばってしまうのは、自分が決してその人に敵わないと分かる、生物の本能なのかもしれない。
 すっぽりと頭を覆う頭巾から唯一覗かせている鬼灯丸殿の左目が、拙者を冷ややかに見下ろしていた。その人間離れした雰囲気と風体に、拙者の強ばった体から更に冷たい汗までもが噴出してくる。
 顔も、出身も、年齢も、そして性別さえも不明なその最強の召使。技量、経験どうこうの話しではない。この人には、他人に有無を言わせない迫力という物が備わっているらしく、視界の隅に部下達も息を飲んで立ち尽くしているのが見えた。
「お前も今年で十七だろうが。しかも千人長で本隊責任者に任命されているにも関わらず、次も同じようにお舘に飛びつくようなまねをしてみろ」
 ごくり……。
 淡々とした鬼灯丸殿の口調に、緊張に耐え切れなくなったのか誰かが喉を鳴らしたのが聞こえた。もちろんそんな音を気にする様子も無く、鬼灯丸殿はすっと左手の親指を立て、それを下に向け、
「落とすぞ」
「……何処にだ?」
 そう冷静に聞き返したのは、三百年続く九鬼家の二一代当主であり、我らがお舘様の九鬼龍左衛門壽寿(くきりゅうざえもんよしひさ)様だ。
「……鬼灯丸、何もそこまでしなくても良いだろうが」
 お舘様は自らの召使にそう言いながら、倒れた拙者に腕を差し伸べてくださった。まだ恐怖で体の強ばる拙者は、部下達が見ている中で素直にお舘様の腕を取る。拙者が腕を掴んだ事を確認して、お舘様は一息に拙者を引っ張り上げた。まだお舘様には届かないとはいえ、昨年から急激に伸び始めた拙者の身長は鬼灯丸殿よりも高くなっている。その分体重も増えたというのに、まるで小さな動物を抱き上げるかのように易々と、お舘様は拙者を引っ張り上げて立たせてくださったのだ。
 そのお力、流石でござる。
 しかし、いつもお舘様の一番近くにいる鬼灯丸殿は、お舘様のそうした素晴らしさは見慣れているのか、変わらぬ淡々とした口調で言い返していた。
「何を言うか。十七と二十五の男同士が抱き合う姿なんて、普通の神経の持ち主ならば見たくない」
「だからといって、走り寄ってきた相手を蹴り倒すのは良くないことだ。もちろん、顔面を踏む事もな」
 間髪入れない鬼灯丸殿の答えに、お舘様はこれまた冷静に返答する。
 その背後で、未だに旅装姿の鳶が困ったような顔つきで拙者に目配せした。少し持ち上げて見せる鳶の手には、縄が握られている。
 ……縄? 
 先程までは無かったその縄の先を拙者が目で追っていくと、如何にも怪しげな風体をした男が二人、きつく縛り上げられているのが見えた。二人とも口布を噛ませられているが気を失っているらしく、伸びた髪の隙間から見える目は固く閉ざされていた。
 もちろん、そんな怪しげな人物は我らが本隊に存在しない。だとすれば、お舘様を狙った刺客だということか!
「お、お舘様!」
「なんだ、トモ? 顎がまだ痛むか?」
 鬼灯丸殿と議論を続けていたお舘様は、拙者の呼びかけに首だけで振り返られた。どんな時でも部下の声に耳を向けてくださるお舘様の優しさに、再び拙者の胸は熱くなったのだが今はそうも言っていられない。
「お舘様、あの連中はなんでござるか?」
「あの連中? ああ、あれか」
 拙者の見詰める先に視線をやって、お舘様は頷く。
「今日の夕刻に竹林の中で我を狙ってきた刺客だ。逆に倒して縛り上げてやったのだが、どうにも雇い主の情報を吐かんのでな。なんやかんやでここまで連れてきてしまった」
「道端に放っておけばよいものを、おかしな義侠心なんぞ出して連れて行こうとするから、到着するのに倍の時間をかけてしまったのだ」
「そうは言ってもな、鬼灯丸。あのまま放っておいたら、逃がした仲間が助けに戻り再び我の殺害を計画するかもしれぬだろう? それならいっそ、目に付く場所に置いておき、国に帰ってから尋問にかけた方が良いではないか」
「……一人逃がした?」
 お二人の会話を聞いていた鳶が、そのときになって始めて口を開いた。鳶が驚いたように聞き返す気持ちは、拙者も十分に理解できる。このお二人が揃って刺客を取り逃がすなど、これまで無かったからだ。驚いたのは拙者たちだけではなく、それまで黙って聞いていた部下達も俄かにざわめき出した。拙者は改めて部下の方を振り返る。あれほど疲れ眠っていたと言うのに、居眠りをする者も無く、今や皆すっかり目が覚めている様子だ。お舘様は決して疲れて眠る部下に、無理な召集をかけるお方ではない。だとすれば、この者達は皆、自主的に起き上がりこうしてお舘様のお話に耳を傾けている。
 お舘様のご到着が遅い事を心配していたのは、何も拙者だけではなかったということだ。これもお舘様の人徳が為せること。流石でございます、お舘様っ!
 しかし拙者の感動を打ち砕くかのように、鬼灯丸殿は冷めた口調で話し始めた。
「夕刻、自分達は刺客三人の襲撃にあった。場所は、塊の国領内に入った後だ。刺客の力自体はさして強いわけではなかったが、取り逃がした最後の一人の逃げ足が速過ぎた」
「そうだな。鳶と同等とも思える足の速さだった」
 その時のことを思い出したのか、少しばかり表情を曇らせてお舘様が呟いた。
 刺客を取り逃がしたということ。そしてそれが塊の国領内だったと言う事は、今回の同盟結束会議中に、再び狙われかねないと言うことだ。
 そうすると今回の刺客は、お舘様が時期首領になることを阻止せんとする翔の国の人間の犯行ではなく、第三勢力、つまり翔の国と塊の国の同盟を良く思わない連中の仕業の可能性が高い。
 しかも鳶と同等の力を有すると思われる刺客。
 相手側は本気で、今回の同盟最高責任者であるお舘様を抹殺しようとしているのだ。
 
 予想外の事態に、拙者は唇を噛み締めた。先程までの感情に走った軽率すぎる自分の行動が、急に恥ずかしくなる。
 拙者は本隊責任者であると同時に、強者揃いの九鬼家臣から一人だけ旅の同行を許された、いわば家臣達の代表なのだ。
 それだというのに、何を血迷ったか忠友! 我を忘れてお舘様に抱きつこうとするとは、武士の名折れ。鬼灯丸殿が怒られるのも、尤もだ。
「まあ、そんな事態ではあるが、みんな」
 拙者が恥ずかしさと自らの不甲斐なさに下を向いていると、お舘様が意外なほど朗らかな声で皆に話しかけられた。思わず顔を上げると、少しも不安そうではない、凛々しいお舘様の顔が拙者の目に飛び込んでくる。
「我がいない中、道中よくここまで荷を守ってくれた。ここまで一人も欠けていない事を我は誇りに思うぞ、よくやってくれた」
「……お舘様」
「塊の国との会合は明日の正午過ぎだ。早朝には出発するつもりなので、今の間によく休んでおいてくれ。明日から忙しくなるが、また宜しく頼む」
 言いきって、お舘様はニッと唇の端を上げた。
 その姿に、夜中だと言う事を忘れて部下達全員が「おうっ!」と大きく声を張り上げる。つい先程まで感じていた不安が、その声には微塵も感じられない。何より「よろしく頼む」と一介の部下に仰ってくださるお方に、拙者はまだ出会ったことが無い。
お舘様はどんな時でも部下の事を大事に思ってくださる。部下の声に耳を傾け、その意見をちゃんと受け止めてくださる。そのお力はもちろん、拙者たちはそんなお舘様のお人柄を慕っているのだ。だから、どれだけ困難な試練に立ち向かったとしても――今回のように世間では「不可能」と噂される同盟にしても――不安を感じることなく、お舘様を信じてその後に続く事が出来る。
 お舘様の部下でよかった。
 これまで何度そう思ってきたことか。

 部下達が食事もまだ取っていないと思われるお舘様と鬼灯丸殿のために、色々と食事の用意をしている中、ふとお舘様と拙者の目が合った。先程の自分の失態を思い出した拙者は、思わず体を強ばらせる。しかし、お舘様は拙者の心境に気付いてか気付いていないのか分からぬが、こちらに向かって真っ直ぐに歩いてこられた。
 叱られる。
 責任者たる行動をしていない拙者は、お舘様に怒鳴られる自分を想像し、反射的に下を向いてきつく目を閉じた。
 が、頭に降ってきたのは怒声ではなく、温かな掌。
「ここまでよく頑張ったな、トモ。この隊でお前が一番若いのに皆を引っ張って、偉かったな」
 優しい声に驚いてぱっと顔を上げると、そこには拙者の頭を撫でながら優しく微笑むお舘様のお顔があった。
 思わず拙者の目頭が熱くなる。泣いてはいけない、泣いてはいけないと思いつつも、熱い涙が瞳に溜まってきた。
「お、お舘様……」
「泣くな、トモ。お前も十七なんだからな?」
「か、かしこまってござるっ!」
 激しく頷きながら拙者は急いで袖で目元を拭う。お舘様は、ちゃんと拙者を気にかけてくれていた。そのことが嬉しくて、誇らしくて、拭っても拭っても涙はあふれ出てきた。
 拙者のそんな様子を、お舘様はそれ以上何か言うわけでもなく黙っておられたが、頭の上に乗せられた手は優しく拙者の頭を撫で続けてくれていた。
 ああ、お舘様。
 忠友は、一生お舘様についてまいりますっ……!


「……で、これ、どうしましょうね、鬼灯丸殿」
「ああ、その刺客共か。仕方ないから、馬車の後輪にでも括り付けておけ」
「承知。というか、本当どうにかなんないッスかね、犬山の旦那」
「当分は無理だろうな。……鳶。お舘がいない間、犬の世話ご苦労だったな」
「いや、俺はいいんですけど。もう慣れました……」
「一度きっちり忠友をしめておかないといけないかもしれないな。今はまだ子犬みたいに可愛らしく見えなくも無いが、三十過ぎたオッサンになってもあの調子だと、見ているこちらが痛々しい」
「……鬼灯丸殿が本気でしめたら、旦那、再起不能になっちゃいますよ?」
「なに、それくらいで使い物にならんようなヤツならば、端からあのお舘の家臣は無理だろう」
「……あー、だから九鬼家の家臣は皆色物揃いなんだ」
「何か言ったか、鳶」
「いえっ! ……いえ、何も」
「口には気をつけろよ」
「はい……」



 そうして夜は更けていき、早朝、拙者達は塊の国の城に向かって出立したのだった。


7 :菊之助 :2007/08/29(水) 19:00:19 ID:kmnkzJPn

石原名鳶十その弐

 朝になった。
 塊の国へと続く表街道を通りながら、俺は出掛かった欠伸をかみ殺す。主を守る忍が欠伸なんてしていたら、俺の少し前を進む鬼灯丸殿に叱られかねない。他の人間よりは怖いもの無しな俺だけど、何故かこの人だけは苦手なんだ。
「鳶、疲れているのか?」
 そのとき、鬼灯丸殿の横を歩いていたお舘様が振り返った。眼帯をしていない方の右目がこちらを見る。その目に見透かされたような気がして、俺は少しばかり慌てて答えた。
「いえ、別に」
「そうか? 今日は起きぬけから表情が冴えないぞ」
「……そうですかね?」
 曖昧に笑ってみせ、俺はこの話題から脱却しようとする。
 忍とはつまり「忍ぶ」事が仕事なのだ。自分の存在を隠す事、情報を隠す事、そして自分自身の心さえも隠し通す事。幼い頃からそのように仕込まれてきた俺は、だから本心は絶対に表に出さないようにしている。もとい「出さないようにしている」なんていわなくても、本心は決して表に出てこない。
 ……まあ最近では犬山の旦那のおかげで疲れた表情をよく見せているかもしれないが、それでも本心と表情とは別物だ。第一、犬山の旦那の上司で次期首領を前に、疲れた表情なんてそうそう見せるわけがない。だから昨日の俺と打って変わって、今朝からは平静を装って朝餉の支度をし、馬車の整備をし、お舘様達が捕えた刺客を尋問した後、馬車の後ろにくくりつけておいた。その間、一切表情は変えず、それこそ普段の俺と変わりないように努めたつもりだ。他の誰も、実は俺が疲弊しているなんて気が付かないはずである。
 それなのに、お舘様こと九鬼の旦那は気がついたわけだ、俺が疲れていることに。
 ……おっそろしい洞察力。なるほど、最強とも思える鬼灯丸殿がこの人に従っているのも納得できるというものだ。
「会合に我が赴いている間、お前は休んでおけ。無理はするな」
「はあ……」
 曖昧に頷いて、俺は我知らず目をそらした。お舘様の目を直視できなかったからだ。
 命令によっては親でも殺すような忍の俺が言うのも嘘臭いが、俺は九鬼の旦那をそれなりに好いている。もちろん同性愛とかそういうのじゃないぜ、だって俺女子好きだし(さらに巨乳ならばなお良し)。九鬼の旦那は若干二十五歳だというのに、(まつりごと)に関する能力に長け、武術の腕前も超一流。そして何より人を引付けるその性格には、人に無関心であれと教えられた俺だって、同じ「人」としてかなり惹かれるものがある。
 だけど、好いてはいるが気は許していない。
 今も言ったあの洞察力。何もかも超越したところから全て見られている気がして、俺はたまに背筋が寒くなる。鬼灯丸殿のような露骨な苦手意識は抱いていないものの、九鬼壽寿殿は俺の中で十二分に警戒に値する人間なのだ。
 今でも翔の国の上層部では実しやかに囁かれている。
 九鬼龍左衛門壽寿は、鬼子だと。
 あの銀色の髪は、鬼の血が如実に現れた証なのだと。
 右手が厳重に布を巻かれているのは、変化できない鬼の手を隠すためなのだと。
 そして眼帯で隠した左目は、幼少時に病で無くしたのではなく、鬼の力を宿しているため何かで封印しておかないとそこに映るもの全てを焼き尽くすからだと。
 無論、それらは確証も無い噂話だ。だけど、時たまそれが事実なのではと思ってしまう。
 鬼や幽霊や神なんて類を信じていたら忍なんて勤まらないのに、だ。
 その恐れが、俺にお舘様の目を直視できないようにさせるのかもしれない。

「お舘様っ、拙者は会合に参加できませぬのか?」
 俺が思い悩んでいる時、突然横合いから犬山の旦那が会話に入り込んできた。三台の馬車には、前後左右にそれぞれ部下を分けて配置してあり、その責任者である旦那はお舘様と同じように先頭を歩いている。それでも朝から今まで静かに歩いていたのは、お舘様の横に旦那の天敵とも呼べる鬼灯丸殿がいるからだろう。昨夜既に二回も顔を蹴られ、踏まれているのだ。日々鍛錬を繰り返している旦那は打たれ強い人ではあるし、急所を狙いはしたものの鬼灯丸殿もちゃんと手加減を知っている人……うん、まあ知っている人ということにしておこう、つまりそんな人だから翌日に残るような怪我は相手にさせない。即ち昨夜の蹴りで旦那は派手に吹っ飛び気を失いはしたものの、今朝はまったく怪我した様子も無く元気そのものだ。しかし灯丸殿の『お叱り』は、犬山の旦那に肉体的痛みよりも精神的恐怖を多く与えるようである。蹴られる痛みよりも、何か恐ろしい鬼灯丸殿の『お叱り』。それが怖いからこそ、これまで旦那はお舘様に色々話しかけたいのを我慢して、黙々とここまで歩いてきたわけである。
 だが、自分も一緒に参加できると思っていた会合に出られないと聞いて、旦那の心には鬼灯丸殿の『お叱り』に対する恐怖もあったものではないらしい。

「会合には拙者も参加できるものだとばかり思っておりました!」
 つかみ掛からんばかりに犬山の旦那はお舘様に詰め寄る。その割に顔がひどく悲しそうで、逢引の約束を破られた女が男を責める構図というよりも、主人に急用が入りいつもの時間に散歩へ連れて行ってもらえないことに対して、哀しそうにキャンキャン吠える子犬、といった方が相応しい。……そんな心象を人に与えるような武人って、いいの?
「すまんな、トモ。これは翔の国の今後を左右する重要な会議なのだ。我も首領の代わりとして今回は会合参加の許しを上層から得たのだからな」
「……」
「分かるな?」
「……分かり申した」
 すまなそうに右目を細めるお舘様の顔を見て、珍しく犬山の旦那はスゴスゴと引き下がった。まあ実際は、その横にいた鬼灯丸殿が物凄く睨んでいたからというのが理由なのだろうが。
「我が会合に出ている間、部下のことを任したぞ。といっても、恐らく広間に通されてもてなされると思うから、さして心配する事は無い」
「……はい」
「そう落ち込むな。そうだ、塊の国は温泉も出ているらしいからな。もしかしたら、お前の好きな温泉饅頭なんてものが茶菓子として出されるかもしれないぞ?」
 まるで留守番を命じられた子供を必死に誤魔化す出張前の父親のように、お舘様はしょげる犬山の旦那に話しかける。しかし、いつもは甘味の話で気を取り直す旦那だったが、よほど悲しかったのかしおれた様子のままである。馬車の戦闘を、下を向いてトボトボ歩くその姿に、お舘様はさらに言葉を続けた。
「何もかもが上手くすんだら、温泉のある宿に皆で泊まって背中の流し合いでもするか?」
「……流し合い?」
「ああ、そうだ。塊の国の温泉は、城の風呂なんかより遥かに大きいからな。全員で入ってもまだ広いぞ」
 ……そんな、お舘様。自分だってまだ塊の国に行ったことないくせに、適当な事、言っちゃっていいの? 風呂が大きいなんて保障ないでしょ?
 しかし、俺の心配をよそに、それを聞いていた犬山の旦那は顔を上げた。その茶色い瞳は、風呂に対する(というか「背中の流し合い」)に対する期待でキラキラ輝いている。
「大きいお風呂でございますか?」
「そうだ、でっかいぞ」
「せ、銭湯『翔の湯』よりも大きゅうございますか?」
「でかいだろうなぁ。翔の湯なんて、温泉に入った後はちんけに見えて入りたくなくなるくらいにデカイだろうなぁ」
「お舘様! 拙者、お舘様が会合に言っている間、ちゃんと部下の面倒を見申す!」
「おう、任せたぞトモ!」
 拳を握り締め誓いを立てた犬山の旦那に、お舘様も力いっぱい頷いた。……うわぁ、完全に犬山の旦那の扱い方を知ってるよ、この人。さすがというか、なんと言うか、主人は主人だけど飼い主みたいな感じ?

「そういえば、お舘様。拙者、明け方に夢を見たでござる」
「夢?」
 急に元気を取り戻した犬山の旦那は、お舘様の横にいる鬼灯丸のことも気にせずそのままお舘様に話し続けた。恐る恐る俺は鬼灯丸殿のほうを見たが、怒ってはいないようである。まあ鬼灯丸殿は、犬山の旦那が不用意にお舘様に抱きついたり、愛(そうとしか、例えようがない)を絶叫したり、千人長に相応しくない行為をしない限りは暴力を振るうことはないからね。非常識な人ではあるけれど、そう言うところはちゃんとしている。
 俺が思っている間も、旦那の夢の話は続いていたらしい。
「お舘様と一緒の夢でござる。さっきお舘様が仰ったように、拙者とお舘様と鳶とか他の者達が一緒に仲良く風呂に入っている夢でござる。これは正夢でございますな!」
「あのね、旦那」
 嬉しそうに叫ぶ犬山の旦那に痛々しいほどのお舘様に対する愛を見せ付けられた俺は、思わず背後から口を挟む。だってね、なんか見ていて本当痛々しい時ってさ、どうにか会話を止めさせたくなるもんでしょ? だが、勿論そんな俺の考えを知らずに、旦那は無邪気な顔で振り返った。
「なんだ、鳶?」
「……あのね、いい夢は口に出したら叶わなくなるんだよ?」
「そ、そうでござったか!」
 精一杯言葉を選んだ俺の発言に、俄かに犬山の旦那が慌て出した。
「な、なんだること。拙者、そんな話知らなんだから、つい口にだしてしまった! ああ、どうしよう、どう致しましょうお舘様!」
「まあ、落ち着け」
 馬車の進行を留めかねないほどうろたえる旦那を、お舘様はヤンワリと諭す。あ、でも頬が少し引きつってる。なんだ、お舘様も旦那の勢いを全て容認できるわけじゃないのだなぁと分かって、俺は少し安心する。
「夢はあくまで夢だろう? そんなに心配するな」
「し、しかしっ」
「もし塊の国の温泉が駄目なら、今度首領に休暇をいただいて西の方へ慰安旅行すればいいだけだから」
 言ってお舘様は爽やかに微笑んで見せた。微笑むのはいいけれど、大丈夫なのだろうか? そんなこと言ったって、休暇なんて簡単に取れるとは思えないけれど。
 だが案の定、それを信じきった犬山の旦那は落ち着きを取り戻し再び瞳を期待でキラキラ輝かせている。
 ……あ、その横で確実に鬼灯丸殿が怒ってる。その鬼灯丸殿の怒気に気が付いたのか、お舘様の頬を一筋の汗が滑り落ちたのを俺は見逃さなかった。最強と思われるお舘様だが、どうも幼馴染(と聞いている)である鬼灯丸殿には弱いようだ。
「そういえば、お舘様は昨夜、ちゃんとお休みになられましたか?」
「え? ああ、うん。大丈夫だ、ちゃんと眠れたぞ」
「お舘様はどんな夢を見られたのですか?」
 無邪気な犬山の旦那の発言に、確かに一瞬の舘様の顔が青くなった。え? なんで?
「……ああ、うん。我はよく眠っていたからな、夢は見なかったな」
「嘘は良くないな、お舘」
 お舘様の一瞬の変化をもちろん鬼灯丸殿が見落とすはずも無かった。冷たい声で鬼灯丸殿がそう呟くと、お舘様の体が確かに強ばるのが見て取れた。
「悪い夢は口に出さんと、現実に起こってしまうのだぞ?」
「そ、そうなのでござるか、鬼灯丸殿!?」
 今度は鬼灯丸殿の発言に激しく反応を示す犬山の旦那。普段ならばそこで旦那に「うるさい」と拳の一つでもくれてやるところだろうが、今の鬼灯丸殿はお舘様の「悪い夢」を聞くために敢えて犬山の旦那に頷いてみせる。
「そうだとも、忠友。自分の母方の伯父の息子も悪夢を口にしなかったため、その日の夕刻に夢の通り尻を蜂に刺されたことがある。このままではお舘も尻を蜂に刺されるぞ。略して尻蜂(しりっぱち)だ」
「し、尻蜂(しりっぱち)っ!?」
 再び激しく反応する犬山の旦那。いや、尻蜂って何さ? というか「母方の伯父の息子」ならば簡単に「従兄弟」と言えばいいのに。あまりにもツッコむところが多すぎるから、この際鬼灯丸殿に親類がいるらしいという衝撃の事実は気にしないでおこう。触れたら何か呪われそうな気がするしさ……。
「大変でございますぞお舘様! 早く夢の内容を忠友に言ってくだされ!」
「いや、落ち着け、トモ?」
「しかしこのままではお舘様が、尻蜂に! 尻蜂にっ!」
 後続の部下のところにまで届く旦那の大声に、俺は仕方なく馬車を停止させた。そして他の部下達に「十分間、休憩だ」と言い放つ。塊の国の城壁は目と鼻の先。しかし、いや、こんな状況で、翔の国の一段が城壁を潜るのは流石によろしくない。とにかくこの休憩十分間で、お舘様達には「お舘様の悪夢」について話をつけてもらわないと、犬山の旦那が騒がしく、鬼灯丸殿の目が怖いままで仕方がない。
 振り返ると部下達は隊列を崩さないまま、その場に思い思いの楽な格好で立っていた。その顔には「我々もあの三人の会話には慣れていますから」みたいな悟りが見えたが、敢えて俺は気付かなかった事にする。
 
 さて、それで悪夢の話だ。他の部下から少し離れた場所に移動している三人の側に、俺も近寄った。勿論好奇心ではないぞ、純粋に主である犬山の旦那のお側に仕えておかねばならぬという気持ちからだ、うん。
「それで、どんな悪夢を見た、お舘?」
「……」
「早く言ってくだされお舘様! 尻蜂になりますぞ!?」
 鬼灯丸殿と犬山の旦那に詰め寄られ、一度大きく溜息を吐いたお舘様だったが、ややあって思い口を開いた。
「……昨夜の夢は鬼灯丸が出てきた」
「なんだ、自分が夢に出たのか。ならば別に悪夢ではないだろう」
 拍子抜けしたような口調でサラリといった鬼灯丸殿の横で、犬山の旦那が口を真一文字に引き結んだ。ああ、そうだね旦那。たしかアンタも昨夜鬼灯丸殿が夢に出てきて、物凄く怖かったんだよね。悪夢だよね、それ。はっきりいって、悪夢だよね。
 しかし、誰の夢にも出現する鬼灯丸殿は、よほど印象に強いのだなぁ。今晩俺の夢に出てこないことを祈ろう。
「それで突然お前が我に『自分は前から思っていたのだがお舘はいい人だ』と言ってきたのだ」
「ほう」
「それで夢の中の我は言われた事が少し嬉しかったらしく、本当か? と夢の中の鬼灯丸に尋ねた」
「なるほど、で?」
「すると鬼灯丸はふっと鼻で笑ってな?」
「うん」
「一言『ああ、お前は自分にとって『都合のいい人』だ』と冷たく言い放った……」
「……」
 そうまで言い切るとお舘様は辛い事を思い出したかのように下を向いて黙り込んだ。横ではどうしていいか分からず、犬山の旦那が固まっている。 
 痛い。
 これは痛い。
 なまじ夢で鬼灯丸が言ったことと、現実世界でのお舘様に対する鬼灯丸殿の扱いがあながち「違う」と言い切れないところが、お舘様の心の痛みを俺達にもヒシヒシと伝えている。……ああ、疲れてるんだなぁ、お舘様も。

「そんなことないぞ、お舘」
 そのとき、黙って話を聞いていた鬼灯丸殿が呟いた言葉に、お舘様も犬山の旦那も顔を上げた。
 二人の様子に、覗かせた左目だけで笑いかけ鬼灯丸殿。そんな笑い顔を見た事がなかった俺は、寧ろその笑顔にビビッたがお舘様達はそれどころではないらしい。
「え? どういうことでござるか、鬼灯丸殿?」
「それじゃあ、貴様は我のことをどう思っているのだ?」
「無論、いい人と思っている」
 にっこり。
 そんな音が聞こえそうなくらいの笑顔(ただし左目だけ)を見せて、鬼灯丸殿は言った。その言葉に俄かに二人(なんで犬山の旦那も?)の表情が明るくなる。
 これにて一件落着かな?
 そう思って俺が休憩している部下達に号令をかけようとした時、やはりサラリとした口調で鬼灯丸殿が言ったのが聞こえた。


「お前は自分にとって『どうでもいい人』だぞ」

 
 その一言で、確かにお舘様と犬山の旦那の体が凍りついた。
 うわぁ、酷い人、鬼灯丸殿。
 しかし、二人を凍りつかせた当の本人は気にした様子も無く、動かなくなった二人の横をスタスタと通り過ぎた。そしてそのまま部下に号令をかけ、再び塊の国に向けて出立するよう促す。そう、何事も無かったように。

 その後、塊の国の城壁を潜るまで俺たちの隊列は恙無く道中を進んだ。
 無論お舘様も犬山の旦那も自分達の足で進んできたわけだが、二人ともその間無言で、どことなく影を背負った感じだ。
 二人の横では、軽快な足取りで鬼灯丸殿が前を見据えて歩いている。
 ものの数分の間で自らの主人と、その主人を敬愛して止まない部下を完膚なきまでに落ち込ませた鬼灯丸殿の力量や、本当に恐ろしい。
 絶対に鬼灯丸殿は敵に回さないようにしよう、塊の国の城壁を潜りながら俺は思ったのだった……。


8 :菊之助 :2007/08/29(水) 19:16:02 ID:kmnkzJPn

小菅ヶ谷丸その弐

 (かい)の国首領、赤星利通(あかぼしとしみち)殿の屋敷は、背に銅山をおいてなかなかに立派な佇まいをしている。

 赤星家の家臣に通された座敷で、我は静かに塊の国首領が来られるのを待った。塊の国城壁を通った後に着替えた黒の直垂は、鬼灯丸が用意していた物だ。
「塊の国は実に用心深い国だからな。派手な色合いや柄の物を身に纏うのは警戒心をあおるだけだ」
 言って渡されたのが、この憲法黒(けんぽうぐろ)直垂(ひたたれ)だ。
「といっても練貫(ねりぬき)で仕立てられているから、質素ではない。見るものが見ればそれと分かるものだ。もとい、それと分からぬような相手ならば端から同盟なんぞ結ぶつもりはないが」
 そう言って頭巾の下から低く笑った鬼灯丸を思い出し、我は他に誰もいない座敷の中心で小さく溜息を吐いた。
 部下は皆、こちらが持ってきた献上品を馬車から下ろすために他の部屋へ通されている。名残惜しそうにこちらを見ていた忠友も、いまや張り切って自分の仕事に当たっている事だろう。そう言う以前に、当たってもらっていないと困るのだが……。

「……」
 既にこの座敷に通されて数十分は経過している。
しかし、首領どころか家臣一人やってこない状況に、我も些か不審を覚えた。もし相手がこちらの本性を確認するためにわざと待たせているのだとすれば、不愉快な話ではある。
散々書状にてこちらの意向を書き記し理解を促してからの同盟だというのに、それでもまだ『翔の国』という存在を信用していないという事か。
 だが、今回の同盟において現状の責任者は我だ。
 向こうがその気ならば、何時間でも正座してここで待っていてやろう。それが責任者たる証である。が、そのように我が腹をくくった時、奥の襖がスラリと開いた。
「どうもお待たせ致した」
 言って中に入ってきたのは、見るからに中堅職な年配の男だ。
 西国で流行しているらしい茶鼠(ちゃねず)の着物に、細い髷。しかし引き絞りすぎたその髪が、ただでさえ細い男の目を吊り上げさせ、更に酷薄に見せている。男は一度舐めるようにこちらを眺めてから、徐に上座へと座り込んだ。とてもじゃないが、人を待たせていたという事に対しての礼節ではない。
 ……これもこちらの態度を見るためだっていうのかよ。だとすれば、随分と失礼なやつだ。
 だが、相手の喜びそうな不満顔を見せるわけにもいかない。我は座したままで、その中年男に頭を下げた。
「某、(しょう)の国城代(じょうだい)九鬼龍左衛門壽寿(くきりゅうざえもんよしひさ)と申しまする」
「……ほう、そなたが」
 我の挨拶に、男は何か含んだ呟きを漏らした。神経を逆なでする口調に頬を引きつらせかけた我だが、堪える。 
 頭を下げたままの我に、漸く男は気付いたらしく口を開いた。
「どうぞお顔を上げてくだされ」
「はっ」
 言われたとおり我が顔を上げると、右目に映るのは嫌らしい笑みを浮かべる男の顔だった。細い目は笑んでいるようにも見受けられるかもしれないが、我から言わせれば腹黒い本心を隠し通す事の出来ない、ちんけな隠れ蓑でしかない。その男が、我が顔を上げたのを見てから、言った。
「某は(かい)の国若年寄(わかどしより)三雲久光(みくもひさみつ)と申す。本日、首領である赤星利通は急病のため敢え無く会合へ出席できなんだ。散々お待たせ申し上げたのに、某のような三下との会合となり申し訳ありませぬ」
 言って男、三雲はニヤリと笑った。とてもじゃないが、謝罪の感情は読み取れない。
 ここで気の弱い者ならば深く深く頭を下げるに留まるのかもしれないが、あいにくこちらはそんな気は毛頭ない。向こうが自らを「三下」というのならば、我はそれ相応に相手するまでだ。だから我は、ワザと三雲の挨拶を無視して、塊の国首領の具合について尋ねた。
「赤星殿のご容態は如何様なものでございますか?」
 この三雲、存外素直な男のようである。自らの謙った言い方にこちらが反応を示さないとわかると、糸のような目と同じく、細い眉が瞬間ピクリと吊上がる。無論我は、その様子を見過ごさなかった。
 三雲は一つ咳払いをしてから、心を落ち着かせた様子である。
「なに、九鬼殿のご心配には及びませぬ。首領はご高齢な者で、季節の変わり目によく体調を崩され伏せられる事がありますが、会合に出席するお力が無いだけで深刻な状態ではございませぬよ」
「左様でございまするか」
 三雲の話に、我はもっともらしく頷いて見せた。媚びへつらうつもりは毛頭ないが、素直な武将を演じる事で、大抵の相手ならばこちらを見くびり本性を表すというものだ。どうにもこの三雲という男は、信用ならない。
「しかしご案じになりませぬよう。本日の同盟については、某が首領から直々に聞いておりますゆえ」
「はっ」
 仰々しく言い放った三雲の声に、再び軽く頭を下げて、我は『職務に忠実な武将』を演じてみせる。相手の年齢からすれば、我などまだまだ若造にしか見えないのだろう。他に家臣もいない座敷の中で、三雲は次第にくつろいだ様子で腕組みをしてみせた。
「ところで、そちらの首領は赴きになりませぬのか?」
 唐突に訊かれて、我は顔を上げる。まるで何かを値踏みするような男の顔つきに軽い嫌悪感を抱きつつも、努めて平静な声で答えた。
「某の国の首領は定められた者以外には顔を見せぬ決まりとなっておりまする。それ故、失礼とは存じ上げながらも、此度の会合には某が首領の代わりとして参り申した」
「ほほ、貴殿の首領はまるで帝のようですな」
 薄ら寒い座敷に、三雲の笑い声が響いた。
「噂では、翔の国の首領は神の血をひくらしいですが、その名残が今でも根強くあるのですかな?」
「初代首領が神官だったという話からそのように世間では言われているそうですが、実際はそのような事はありませぬ」
「なんだ、そうでしたか」
 さして気落ちした様子でもないのに、三雲は大袈裟に肩を落として見せた。そもそも何故今になって首領の話が出てくるのか。既に書状ではその旨を塊の国首領に伝え、我が代わりに出向くと話がついていたはずなのだが。

「某はてっきり九鬼殿にも何かしら神の血をひいているものだと思っておりましたぞ」
「は?」
 予想もしない物言いに我は思わず聞き返す。
 すると三雲はその細い目を薄っすらと開きつつ、空気の混じるような声で囁いた。
「翔の国の独眼竜といえば、次期首領として有名ですからな。もっと無骨なお方かと想像しておりましたが、こうして目の前に座られるお姿はまるで役者絵から抜き出たようでございますな」
「……勿体無いお言葉でございます」
 そう答えて控えめに頭を下げた我だったが、三雲の不躾な言葉と態度に憤懣やる方ない。
 なるほど、首領の話をわざわざ出して来たのは全て我自身について聞き出すためだったか。次期首領の技量を見ることにより、翔の国全体の器の大きさを量るつもりらしい三雲の考えに、我は心の内で唾を吐きかけたくなる。随分と軽く見られたものだ。
 これ以上ヤツの馬鹿げた話に付き合っている暇はない。早々に同盟を交わして、早く国に戻る事にしよう。

「同盟についてなのですが、宜しいでしょうか?」
 出し抜けに我が言うと、再び三雲の眉が引きつった。かなり自尊心の強い人間のようだ。先に本題について触れられた事で、三雲の神経は確実に逆撫でされたことだろう。しかし、そんなことを気にする必要もない。なんと言っても今回最も重要なのは、翔の国と塊の国の同盟関係を結ぶ事である。
 一瞬殺意さえも感じられそうな眼差しで我を睨みつけた後、三雲は自らを落ち着けるためだろう、大きく息を吸い込み吐き出した。そして、わざとらしいくらいの笑みをその顔に浮かべてみせる。
「もちろんですぞ、九鬼殿。此度の会合は某の国と貴殿の国との同盟について。されど残念な事を申し上げなければならないのです」
「……残念なこと、でございますか?」
 首領の代わりとして三雲が出てきたこと以上に残念な事があるとでも言うのだろうか。しかし、そんな我の思いを知らずに、再び三雲は芝居がかった動作で頭を抱え込んだ。
「そうなのです。とても申し上げにくい事ではありますが……」
「はぁ……」
 いやにもったいぶる三雲に、我は苛立ちを覚えながらも辛抱強く次の言葉を待つ。
「これまで某の首領と貴殿の首領殿とで何度も書状にてそれぞれの意向を話し合っておられましたな? ええ、ええ、それは某もよく知っておりまする。互いに決して悪い条件ではございませんでしたな。塊の国は銅鉄の輸入優先権を貴殿の国に差し上げる事、貴殿の国は某の国の防衛をしてくださるということ。互いにその条件を飲み合い、そして此度の会合にて同盟を結ぶ事になりましたな?」
「はあ、左様でございますな」
 何を今更。
 我は大袈裟で作り事めいた三雲の口調に苛立ちながらも、頷いた。
 十五年前の乱世と変わり、今は少々の戦事はあるものの概ね平和である。そんな時に「貴国が攻め入られた場合は自国が必ずお助けする」という条件を何故塊の国が飲んだのかまでは、それこそ首領本人に尋ねなければ分からないだろうが、書状の間ではその条件を飲んだということになっている。だから、我はこうして塊の国にまで赴いたというのに、三雲はもったいぶった言い方でそれまでの経緯を我に話して聞かせるのだ。
 いったいどういうつもりなのだろうか。
 しかし、苛立っていた我の気持ちは次の三雲の言葉でさっと消えうせた。

「そのように互いに同意しておりましたが、此度の同盟に付いては反故にしていただきたい」
「……は?」
 我ながら間抜けな声を出したものだ。
 しかし、そんな風に聞き返したくもなるだろう。
 同盟を反故にする。
 確かに三雲はそういった。
「理由は聞かないでいただきたい。首領は理由に付いて何も話してくださらなかったので」
「お待ちください!」
「申し訳ない。いや、本当に申し訳ない。そのお詫びとしまして、輸入の優先権は翔の国に差し上げさせていただく。しかし貴国と同盟を結ぶことは出来ないのです」
「そんな……」
 我は訳が分からなくなった。
 後は互いに同盟条約所に署名すれば終わりのはずだったのに、塊の国まで来て突然それが帳消しになるなんて、いったい誰が考え付くだろうか。
 しかも、相手側は同盟条件である「銅鉄の輸入権」をこちらに与えるといっている。こんなおかしな話があって堪るか!
「恐れながら、某を貴国の首領殿に直接お話させてください。首領の代理とは雖も、某も自国の責任を背負うもの。そう易々と同盟を反故させるわけにはいきませぬ」
「本当に申し訳ない。某、これからちと用事がありましてな」
「三雲殿っ!」
「後で家臣に九鬼殿ご一行を宿まで案内させまする。ここの温泉はなかなか宜しいですぞ。どうぞ温泉に浸かり疲れを癒してから、お帰りください。書状にて事の次第はこちらから貴国の首領殿にお伝えし申すゆえ」
「お待ちください!」
「それでは某、この後用事がありましてな。失礼いたす」
 我が立ち上がる前に、三雲はもと来た襖をからりとあけて、足早に座敷から立ち去った。
 残された我は呆然とその場に座っておくしかない。相手を追いかけ、その身を組み伏し問い詰める事は造作もないことだろうが、責任者としてその立ち回りは出来かねる。
 三雲が去っていったすぐ後に、今迄何処にも見かけなかった赤星家の家臣が現れ「宿へご案内いたします」と、屋敷から我を追い出そうとした。
 腹が立った。
 とてつもなく腹が立ち、それこそ去っていった三雲を追いかけ殴りつけてやろうかとも思ったが、奥歯をぎりりと噛み締めつつ、我はその家臣に先導されて屋敷を出る。

「部下の方々は既にご案内しております」
 そう呟いて楚々と前を歩く赤星家の家臣の後を歩きながら、次第に怒りの波が引いて来たので、我は改めて考えた。
 三雲の様子がおかしかったこと。
 体調不良を理由に、自国の会合にも関わらず姿を見せなかった塊の国首領のこと。
 同盟を結べないといいつつも、輸入権をこちらによこす約束をしたこと。
 何もかもが納得いかず、おかしい。単に同盟を反故にされただけでなく、裏に何かある気がしてならないのだ。

(やれやれ……首領はこれもわかって、我をここによこしたのか)
 前を歩く家臣に聞かれないくらいの小さな溜息を漏らし、我は微苦笑した。
 明日には帰れと三雲は言ったが、誰がそんなことを聞いてやるものか。宿代が掛かるのは端から承知している。そもそも首領が我を他国にやる時は、必ず一筋縄ではいかない事態が待ち受けているのだ。そんな事態に巻き込まれ、これまで予定していた日時の間に我が国に帰れたことは無かった。
 とり合えず、今は大人しく三雲の言った宿に泊まってやろう。
 そして今夜にでも、ことの実態を掴むために動き出すとしようではないか。
 翔の国の独眼竜というその呼び名に恥じぬ働きを、一つ見せてやる。
 思って我は、唇の端を吊り上げるのだった。


9 :菊之助 :2007/08/29(水) 19:30:35 ID:kmnkzJPn

鬼灯丸その参

 見上げた月は、昨夜よりもその輝きを増し、少しばかり肥えたようにみえる。
 何処で見ても、月は月。現実を認識し、それを知ることをまず覚えよ。虚像の世界、そして己自身の願望に浸ることがないよう、ゆめゆめ気をつけるのだ。
 そう幼い頃教えられたものだが、やはり見る場所、共に見る仲間によって月は如実に姿を変えた。少なくとも、自分の目にはそのように映った。この世の時勢も月と同じ。だとすれば、自分は少しでも良いと思える方向に正しい心を持って、様々な理を導いていかなければならない。
 そして、それが自分の使命なのだから。
 そう考えて、下から立ち上がる湯煙で頭巾が湿らないよう注意しながら、自分は天上から湯殿へと視線を戻す。

 塊の国若年寄、三雲久光が用意していた宿は、一目で法人相手の豪華なものだと分かる造りをしていた。
 大きな門構えに、細工が掘り込まれた朱塗りの柱と漆塗りの床。長い廊下を彩る襖絵は、どれも名の知れた者の作で、室内の調度品一つをとっても名工のつくりであると知れるものばかりだ。見ようによっては成金趣味と言えないこともないが、部下達が宿泊する事になる部屋も雑魚寝専用の大部屋ではなく、五人一組で客室があてがわれ、それらは通常の宿の客部屋より遥かに大きく、いかにこの宿が特別なのか知ることが出来るというものだった。まさかそんな待遇を受けるとは思っていなかった部下達は、初めこそ驚きはしたものの、用意されていた懐石料理に舌鼓を打った後、酔いも醒めぬ間に大浴場に走っていった。些かはしゃぎすぎているようにも思えたが、道中の厳しさを考えればそれも仕方ないことだろう。
 そしてお舘である小菅ヶ谷丸には、他の客室よりも大きく、さらに小型の露天風呂まで庭に取り付けられた離れがあてがわれた。
 今回の同盟での最高責任者である小菅ヶ谷丸には、他の部下と同じ扱いでは宜しくないと考えてのこと。だとすれば、この後には必ず「アレ」がくるわけだろう。
 離れに作られた露天風呂を取り囲む竹塀の上に座り込み、自分はぼんやりとそんなことを考えていた。しかし、ぼんやりしているわけにはいかない。自分は、眼下で湯に浸かる主人に声をかける。
「いつまで後ろを向いている気だ。それでは声が聞き取りづらい」
「……うるさい」
 白濁食の湯が張られた石風呂の中心で、小菅ヶ谷丸はこちらに背を向けて顎までしっかりと湯に浸かっていた。いつもは逆巻いている銀髪も、今はすっかり湯気にやられてしんなりとしている。随分と不機嫌な声で「うるさい」などと言われてしまったが、自分はそんなこと気にしない。
「ただでさえここは声が響いて聞き取り辛い。こっちを向いてもう少しこちらに近寄れ」
「誰がいくかっ。第一なんで貴様は我が入浴しているのを眺めているんだっ」
 さらに不機嫌な声で、小菅ヶ谷丸は下を向いて自分に吐き捨てた。
 なんだこいつ。自分に裸を見られるのが嫌なのか? 予想していなかった小菅ヶ谷丸の反応に、自分は頭巾の下でかすかに苦笑する。ガキめ。
「仕方がない。自分はお前の召使だからな。召使とは常にそばにいるものだ」
「だからといって、これまで入浴しているのを見ていたことは無かっただろうが!」
「塊の国領地内で刺客に狙われたのを忘れたか? 一人取り逃がした今、素っ裸でいる入浴中が一番危ないだろう」
「しかしっ……」
「それに自分は『存在しない召使』のため、ここ以外にいく場所がない」
 そう答えると、今度こそ小菅ヶ谷丸は派手に飛沫をあげて勢いよくこちらを振り返った。湯に浸かりすぎて赤くなった顔が、何やら滑稽にみえる。
「ま、まさか我と同じ部屋に泊まる気か!?」
 信じられないと言いたげな主の口調に、自分は竹塀の上で肩をすくめた。
「仕方がないだろう。『鬼灯丸』という存在はそもそも極秘に主を守る者。翔の国でも自分のことを知らないやつらばかりだというのに、他国の人間が知っているわけがないだろう」
「そういうことを言っているのではない!」
「正体不明の敵に狙われている今、離れる事は適当ではない。部屋は広いのだから、二人泊まっても問題ないと思うが」
「だからっ……!」
「道中、一緒だったじゃないか」
「あれは野宿だっただろうが!」
 たしかに、ここまでの道のりは本隊と距離を離すために、宿のないような獣道ばかりを進んでいた。星空を天井に焚き火を囲んで眠ったのだが、それと今とにさして違いがあるとは思えない。
「同じ部屋で寝ることなんて、問題じゃないだろう? それともお前、自分には外で寝ろというのか?」
「そ、そうは言っていないが……」
「ならば同じ部屋で良いじゃないか。ついでに私もお前の後で風呂に浸からせてもらう。久しぶりに自分も湯に浸かりたいのでな」
 自分の一言に、何故か小菅ヶ谷丸の体が固まった。何かおかしなことでも言っただろうか。
「なんだ? 自分が風呂に入っている間、刺客が来るとでも考えたのか?」
「そういうわけではない」
「なんなら自分が風呂に入っている間、お前も太刀を持ってそこで自分を眺めておくか? そうすれば、襲撃を受けても自分はすぐさま対応できるからな」
「なっ、ば、馬鹿言うな」
「冗談だ」
「くだらない冗談は言うなっ!」
 さらに顔を赤くして叫んだ小菅ヶ谷丸の声が聞こえないよう、さっと耳を押さえる体勢をとった自分だったが、離れの扉を開ける音が聞こえてその手を止める。自分の変化に小菅ヶ谷丸もすぐ気が付いたらしい。湯船から半身を持ち上げて、音のした方向を睨んだ。
 僅かな衣擦れとこちらに近寄る足音に、自分は塀から降り立って「隠遁」の印を組む。組みながら、湯船の中の小菅ヶ谷丸に、頭の中で話しかけた。
『忠友達……ではないな』
『そのようだな。トモは色々言っているが聞き分けはいい。よほどの事がない限りこちらには来ないはずだ。それに……』
『それに、忠友ならばもっと騒がしい。小菅ヶ谷丸、予想していた通りやはり「アレ」が遣されたらしいぞ』
『……いやだなぁ』

 声には出さず互いの意見を自分達が交信していると、室内から露天風呂に通じる扉の向こうで若い女の声がした。
「九鬼壽寿様。恐れながら、お背中をお流ししたく参りました」
 そう言った女の声に、小菅ヶ谷丸が露骨に眉をしかめる。
 他国へ赴くと、たまに自国の女を献上品として差し出してくる大名がいる。それは大抵「お酌いたします」や「肩をお揉みいたします」や、時たま露骨に「溜まったお疲れを癒して差し上げます」と自ら帯をとく者までいるのだが、そういった女を小菅ヶ谷丸は苦手としていた。離れに通された時に、これは夜必ずそういった女が遣されるだろうなと覚悟はしていたのだが、その予想は不幸にも当たってしまったようだ。無下に断るとなると、相手国に恥をかかすだけでなく、遣された女も後に何かしらの罰を受けかねないから厄介なのである。
 毎回そんな女が来るたび、適当に世間話をしてから追い払うのが小菅ヶ谷丸のやり方だった。しかし今回はそうはいかないだろう。というのも、こちらは正真正銘の丸裸だからだ。裸で男女が世間話なんて、そう易々とできるものではない。そうすると、素直に背中を流させた後、女を帰すのがまあ良策というところか。
 返事を渋る小菅ヶ谷丸に、自分はスルリと自らの姿を闇と同化させつつ「入れろ」と顎で合図する。闇に薄れ行く自分の方を小菅ヶ谷丸は、一度睨みはしたものの表情を改めて扉の向こうに声をかけた。
「どうぞ」
 その一言を待っていたのだろう。からからと檜戸を開けて中に入ってきたのは、見目麗しい二十代前半と見受けられる女だった。
「三雲久光様から仰せつかってまいりました。わたくし、三雲家侍女のヨシと申します」
 薄い小袖のみ纏ったそのヨシという女は、いまだ湯の中にいる小菅ヶ谷丸に向かって深々と頭を下げた。
「お背中を、お流しいたします」
 女に言われて、先程の嫌そうな様子を改め、代わりに冷たいまでの無表情となった小菅ヶ谷丸は、腰に手ぬぐいを巻きつけて湯殿から上がった。鋼のように鍛えられた小菅ヶ谷丸の体をチラリと盗み見た女は、慌てた様子で目をそらす。
 確かに自分の目から見ても小菅ヶ谷丸の体は実に男らしく美しいと思う。無駄な肉が付いていない均整のとれた体は、異性であれば思わず顔を赤らめることだろう。だが、女の今の目の逸らし方は、少しばかり意味合いが違うように思われた。そう、まるで見てはならぬものを見たかのような逸らし方だったのだ。
 しかしそれも仕方がないのかもしれない。左目を覆う眼帯はまだしも、入浴中も肘の上まで覆う黒い篭手をつけている人間など、だれが想像できようか。これでまた一つ、小菅ヶ谷丸に対しての世間の噂に尾ひれがつくというものである。
 即ち「翔の国の独眼竜は、風呂場に置いても鬼の宿るといわれる目と左手を隠していたぞ」と。
「お頼み申す」
 意識的に普段の倍は低い声を出して、小菅ヶ谷丸は平伏する女、ヨシの前に背中を向けて座り込んだ。目の前に翔の国次期首領が座るのを確認してから、ヨシはもう一度頭を深く下げた後、そっと立ち上がる。そして持参した手桶に湯を汲むと、持っていた手ぬぐいをそっと浸してから丁寧に小菅ヶ谷丸の背を擦り始めた。
 首筋から肩、背中へと淀みなく動くヨシの手。これまでいったい何人の背中を流してきたのだろうか。思わずそんな疑問を抱きたくなるほど、小菅ヶ谷丸の背中を洗うヨシの手には迷いがなく、そして見ているだけで実に快い動きをしていた。
「気持ちの悪いところはございませんか?」
「いや……」
 手を休めることなく聞いてきたヨシに、小菅ヶ谷丸は無愛想に答えた。しかし露天風呂のそこかしこに置かれた堤燈が、小菅ヶ谷丸の困惑した表情をおぼろげに照らし出している。確かに、これまでの小菅ヶ谷丸の経験の中で「異性に背を流される」というものは無いのだろう。しかし、それだけで何故そんな居心地の悪そうな顔をする? 一国の主となるものは、正妻に加え何名もの妾をとるというのに、ただ背中を現れただけでそんな顔をしてどうする。そんなことだから、二十五になっても嫁も妾も出来んのだ。小菅ヶ谷丸は「召使」の目から見て、実に先行きが不安な主人である。
 そんな自分の心情を読み取ったのか、姿が見えないはずなのに、小菅ヶ谷丸は自分がいる方向を的確に睨みつけてきた。自分のいる場所は小菅ヶ谷丸から少し離れた斜め右前。……女子は苦手にしても、本当に勘のいい男である。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いや。……もう結構だ。ありがとう」
 他国の首領の変化を敏感に感じ取ったヨシに、小菅ヶ谷丸は慌てて顔を無表情に戻し、そう答えた。ヨシは少しばかり不思議そうな顔をしてみせたものの、それ以上深く詮索せずに、手桶の湯で小菅ヶ谷丸の背を流す。
「本当にありがとう。後は適当に過ごすゆえ、貴女はもうお帰りくだされ」
 女の方を振り返らずそうとだけ言い放った小菅ヶ谷丸は、ヨシが返答する前に立ち上がるとズンズン湯船に進み、ドボンと音を立てて湯の中に入り込んだ。わざと気の無い素振りを見せる事で、相手の目的意識を喪失させようという作戦なのだろうが……あまりにも子供臭くないか、小菅ヶ谷丸。しかし、それだけ露骨な拒否を示されたならば、大抵の女は自ら引く事だろう。そうでなくても、小菅ヶ谷丸は世間で「鬼」やら「独眼竜」やら、良いのか悪いのか分からない評価を得ているわけなのだから、よほどの物好きでなければ、それ以上か弱い女子が好んで近寄ろうとはしないと……思ったのだ、が。
「失礼いたします」
 声のした方向をつい振り返って、自分は珍しくギョッとした。
 ヨシが小袖をハラリと脱いで、小菅ヶ谷丸のいる湯船に入ってきたのだ。これには無表情を通そうとしていた小菅ヶ谷丸もさすがに目をむいた。失礼とも思えるくらいの無愛想な振る舞いをしたというのに、まさかそんな、同じ温泉に相手が入ってくるとは誰も思わないだろう? 女子にここまでさせる三雲は、いったい小菅ヶ谷丸に何を期待しているというのだろうか。同盟反故を小菅ヶ谷丸に無理やり承諾させるため「塊の国の女との既成事実」を作ろうと女にここまでさせたのだとすれば、お粗末な話ではないか。それでは、同盟反故承諾以上の何かを小菅ヶ谷丸に求めているのか。それは何だ?
 自分が闇に紛れつつ三雲の計略について考えあぐねている間に、自分の主は確実に窮地へと追い込まれていた。

 滑らかな肌と見事な曲線をえがくヨシの裸を見ないよう、小菅ヶ谷丸は慌てて横を向く。そしてさり気なく女との距離を置きつつ、固い声を出した。
「某には既に心に決めた者がおります故、そのような事をされては困りますし、嬉しくござらぬっ!」
「ですが、英雄色を好む、と申しますでしょう?」
「某は、英雄などではござらぬっ」
「いいえ、英雄とお聞きしております。英雄とは文武の才に特に優れ、非凡な事業を成し遂げた方のこと。九鬼様はまさに英雄でございます」
 先程までの控えめな侍女の姿とは違い、いまやヨシは獲物を狙う女豹のそれだ。距離をとろうとする小菅ヶ谷丸をじっと見詰めたまま、彼女はゆっくりと目的に近付いていく。小菅ヶ谷丸も湯の中を逃げ回らずいっそ室内へ逃げ込めばいいものを、と自分は思ったのだが、その時視界の隅に何かが水面を漂うのが目に付いた。湯船に浮かぶのは、間違いなく小菅ヶ谷丸の手ぬぐいである。湯に浸かったと同時に腰に巻いていた手ぬぐいが外れたか、それともヨシが奪い取ったか真相は定かではないにしても、前を隠すべき手ぬぐいが流れてしまったのでは湯から上がる事も出来ないというわけか。ああ、かわいそうな小菅ヶ谷丸。他国の知らない女により、主の純潔はここにて散るのか!? まあ、実際既に散っているのだが。
 
 しかし、主の窮地を面白く眺めていた自分は、突如異変を察知した。
 頭巾を通して鼻腔に入る、この香り。甘ったるく、それでいて鼻腔の奥をつつくような匂い。香りの根源を探すため、自分は湯殿に右目を走らす。これは、空気、否、湯気から来ている! 
 瞬間、自分は玉石のはめ込まれた洗い場を蹴って空中に躍りかかっていた。
 空気を切り裂くその音に、ヨシがハッとこちらを見上げる。こちらを見上げたその顔は、侍女のものではなく明らかに自分と「同業者」なるものだ。女はざっと湯から飛び上がろうとする。その動きは当に、昨日取り逃がした刺客のもの! 女、ヨシはすぐさま湯から上がり姿の見えない相手――つまり自分から――から逃げようと裸のまま走り出す。だが、二度も逃がすほど自分は甘くない!
「ふっ!」
 気合と共に自分は、落下の勢いを乗せたまま刺客に向かって足を蹴り出した。それと同時にかけていた隠遁が解け姿を現す事となったのだが、たとえ姿が隠れていなかったとしてもヨシが自分の姿を確認することは出来なかっただろう。何故ならば女がこちらの姿を見る前に、自分の蹴り出された右足は逃げるヨシの胸の中心を強打し、湯船へと沈めたからだ。
 激しい水飛沫をあげて再び温泉に倒れこんだヨシのすぐ前に着地した自分は、まだ状況が飲み込めていない小菅ヶ谷丸を怒鳴りつけた。
「湯気を吸うな! 薬が混ぜられている!」
「何!?」
「超短時間作用型の睡眠薬『川蝉』だ。とにかく湯船から上がれ、そこで寝込んだらあっという間に溺れ死ぬぞ」
 自分の言葉に小菅ヶ谷丸はすぐ状況を理解したようだった。気絶したヨシを自分が湯の底から抱き起こしている頃には、脱衣籠に入れていた小袖を着込み、愛用の二本太刀を提げて湯殿へ戻ってくる。そして再び湯に入り、いまだヨシを運べず難儀していた自分の横にくると、片手で軽々と女を担ぎ上げ洗い場の丸石の上へ寝かせた。腕力の差を小菅ヶ谷丸に見せ付けられた気がして(本人にその気が無いのは知っているが)、自分は少し不機嫌になりつつも洗い場に落ちていた小袖を裸のヨシに羽織らせる。そして腰の下げ袋に常備している縄で刺客の体を縛り上げつつ、ヨシの裸を見ないようこちらに背を向けて立っている小菅ヶ谷丸に自分は話しかけた。
「手桶に予め睡眠薬を隠していたのだろう。『川蝉』は水溶のため普段は飲用させるものだが、温泉に投入して気化させ吸引する方法をとろうとしたようだな」
「……何故そんな周りくどいことをする? 我の暗殺ならば、こちらが背を向けた瞬間に首筋を掻っ切ればいいだろうが」
 背中を向けたまま不機嫌な声を出した小菅ヶ谷丸だったが、その意見は自分も同じだった。
 風呂場においての小菅ヶ谷丸は、まさに隙だらけだった。昨日の奇襲で刺客側が、こちらが殺気をすぐに察知する力に長けていると考えたとしても、何故わざわざ睡眠薬を気化させるような手間のかかる方法をとったのか。解せぬ。しかし聞き出そうにも恐らくヨシ(恐らく偽名だろうが)は答えないだろう。昨日捕らえた二人の刺客も、あの鳶が尋問したというのに未だ依頼主の名前を吐いていない。
 しかしこの場でいくらも考えているわけにはいかない。気化した睡眠剤は、確実に風呂場に篭りつつあった。周囲に他の刺客と思しき気配がないため、狙ってきたのはこのヨシだけにしたとしても、このまま風呂場にいたのでは自分達二人も睡眠薬の効能で意識を失いかねない。
 自分の考えを読んだのか、背中を向けていた小菅ヶ谷丸が無言で振り返り、後ろ手に縄で縛ったヨシを自らの肩に抱えあげる。
「とにかく部屋に戻ろう。これ以上刺客が向けられるかは分からぬが、この場にいても眠るだけだ」
「……そうだな」
 主の言葉に頷いて、自分は立ち上がった。ヨシを引き上げるために湯に浸かったせいで、自分の黒い衣はすっかり濡れてしまっていたが、それを気にしているわけにもいかない。一歩進むたびにピチャピチャと音を立てて室内に戻ろうとすると、ヨシを担いだままの小菅ヶ谷丸が半眼でこちらを振り返った。
「……びしょ濡れだぞ」
「なに、風呂に入る手間が省けたというものだ」
 ケロッと自分がそう答えると、小菅ヶ谷丸は一つ大きな溜息を漏らして黙りこみ、そのまま室内へと入っていった。


10 :菊之助 :2007/08/29(水) 19:44:47 ID:kmnkzJPn

石原名鳶十その参

 忍びの種類は陰陽と分かれている。陰忍(いんにん)は姿を隠して敵地に忍び込み内情を探ったり破壊工作をしたりする者であり、通常考えられる忍者とはこのときの姿だ。対して陽忍(ようにん)とは、姿を公にさらしつつ計略によって目的を遂げる方法である。いわゆる諜報活動や謀略、離間工作などがこれにあたる。
 九鬼家の部下たちに俺は陽忍だと思われているらしいが、実際は陰忍だ。だから、他国の首領が住む屋敷にだって忍び込むわけだし、そこから様々な情報だって盗み出すわけである。今着ている鈍色の忍装束こそが、本来の俺の格好なわけであって、決して割烹着が似合うような青年ではないわけである。……とは言いつつも、最近はでっかいお子様(敢えて名前は言わないが)の面倒を見ることが殆どになりつつあるのだけどね。 自らそう思い返すと、ちょっと悲しくなってきたなぁ……。
 とにかく、その話は置いておくとして。

 俺は今、塊の国首領である赤星利通の屋敷に忍び込んでいた。
 表門には警備が配置されていたが、さすがに屋根の上は死角らしく誰も、見張りの「み」の字も存在しない。「鳶十(とびじゅう)」という名前は、鳥の鳶のように身が軽く、重力を感じさせないような動きをするところから与えられた名前だ。だから俺の侵入経路はいつも空。
 丸瓦の敷かれた屋根の上に音も無く着地した俺は、ざっと見回して人がいない場所を見つけると、更に降り立って屋敷の中に侵入する。音も無く障子を開けて入った場所は、どうやら床の間のようだった。が、深夜のその場所には人影どころか、ネズミさえもいなかった。油断無く神経を研ぎ澄ませ、俺は更に奥へと進んでいく。途中、侍女達の眠る部屋や、寝ぼけた家臣、気だるげな警護人とすれ違いかけたが、俺が闇に身を隠しただけで誰も俺の存在に気付きはしなかった。その様子に、忍び込んでいる本人が言うのもなんだが「大丈夫か、この屋敷の警備?」と、俺は思わず肩をすくめてみせる。

 だからといって、気を抜くわけにはいかない。それというのも、ここに忍び込む前にその旨を伝えに寄った離れで、お舘様こと九鬼の旦那に言われたからだ。
「我を狙った刺客が、三雲の用意した宿にまで入り込んできた。しかもそいつは三雲の名前まで出して、我に接触してきたのだ」
 煙管を口に咥えて呟いたお舘様の顔は、犬山の旦那や他の部下達に見せる穏やかな表情と打って変わって、冷たい鬼の顔だった。場数を踏んだ俺でも、思わず背筋がゾクリとするようなお舘様の背後で、刺客と思しき女を鬼灯丸殿が支柱に縛り付けていた。いつもの黒衣と違って、鬼灯丸殿は二藍の衣を身に纏っていたが、顔を隠す頭巾はそのままだ。そこから覗く左目には、いつも以上に何の感情も読み取れなかった。
「我を油断させるために三雲の使いを名乗ったのかもしれないが、どうもそれだけではないように思える」
「と言うと、塊の国がお舘様の暗殺を謀ったということですか?」
「塊の国というよりも、三雲自身か、その背後についている何かだな。首領から聞いている話では、塊の国首領の赤星殿は確かに固い人ではあるものの、文句があるなら正面から向かってくるような性格らしい。そのお人が、こんな手の込んだ回りくどい奇襲劇を考え付くとは思えない」
 確かに、とその時の俺は思った。
 お舘様の話では、刺客の女は水溶性の睡眠薬を風呂に投入し気化させて、お舘様を眠らせようとしたらしい。恐らく眠ったお舘様をそのまま温泉に沈めて水死させるのが狙いだったのだろうけど、本当に暗殺だけが目的ならば、先手必勝。後ろを向いたところでブスリか、温泉に水溶性の猛毒を仕込んでおくかするだろう。少なくとも、俺ならそうするね。
 しかし確かに、水死という形だと翔の国からでは介入しにくくなる。出された酒を飲み泥酔したお舘様がそのまま温泉で寝込んで死亡、なんて筋書きが水死の場合はかけるからだ。直接的な傷があったり、温泉に猛毒が混ぜられていれば刺客による暗殺だと分かるものの、気化する睡眠薬だと時間が経てばあとが残らない。暗殺だと一目でわかれば、翔の国は塊の国に報復できるが、はっきりしない死因を前にはどうすることも出来ないだろう。
 だが、何故?
 睡眠薬の暗殺劇は完璧のように思えるが、実は穴だらけの方法だ。手桶に仕込んでいた睡眠薬が完全にとけ切るまで時間がかかるわけだし、その間にお舘様がさっさと部屋に戻ればそれで失敗となるわけだ。今回は女が無理やりお舘様を湯殿に留まらせたらしいが(そこいらの詳しい説明は省かれた。……聞かないのが男の優しさというものである)、同じ浴室にいるとすると刺客の女も睡眠薬が入った湯気を吸い込むこととなる。へまをすれば自分もその場で眠りこけ、水死ということになりかねない。同じ場所で二人の人間が同じように死んでいれば、いくらなんでもその死が暗殺によるとばれるものだというのに、だ。それなのに、何故そんな方法をとらせる? お舘様の暗殺を企てているヤツは、まるで「お舘様を暗殺したのは塊の国です」と思わせようとしているようじゃないか。

「はっきりとは言えないが、赤星邸には何か隠されているのではと思うのだ。それに、赤星利通殿が本当に病で臥せっているのか、それも調べてきて欲しい」
「分かりました」
「くれぐれも深追いしすぎるなよ。無事に帰って来い。それらしい情報が無ければ、明日にでも我が直接屋敷に乗り込むつもりだ」
「え、いやぁ、それはちょっと不味いんじゃないですか?」
 翔の国次期首領とも呼ばれるお人が、門番を押しのけて無理やり赤星邸に乗り込む姿をまざまざと想像して、俺は顔を引きつらせた。が、お舘様は口から細く紫煙を吐き出し、ニヤリとする。
「だから、頼んだぞ、鳶」
 その顔はまるで悪戯を思いついた悪餓鬼だった。犬山の旦那も子供臭いと思ってたけど、その主人である九鬼の旦那の方がもっと性質が悪いのでは、俺は四年目にして初めて気付かされた。とにかくそんなお舘様の遠まわしな念押しに、俺は頷くしか出来なかったわけである。


 どんどん屋敷の奥へと進みながら、お舘様とのやり取りを思い出した俺は、小さく肩をすくめた。
 今のところそれらしい物も人物にも遭遇していない。お舘様の勘の良さは知っているけど、今回ばかりは不発じゃないか? と疑いたくなるくらいに、何も無いのだ。だから俺が全ての部屋を回り終わるのに、さして時間もかからなかった。最後に辿り着いたのは、昼間お舘様が三雲という若年寄と会合したと思われる座敷だ。話では、三雲は奥の襖から入退室したらしいので、念のためヤツが通ったように俺も襖を開けてみる。襖の向こうには、果てしないように見える廊下が続いていた。向かって左側には控えの間へと続く襖が並び、反対の右側は土壁が続いている。明り取りの窓がない廊下は暗く、何かいやな雰囲気だ。もしここに犬山の旦那がいれば「……鳶、手を繋いでやろうか?」とか言って震える手をわざとらしく俺に差し出してくることだろうが、生憎旦那は飲みなれない酒を部下に飲まされ、今頃宿の布団の中で鼾をかいていることだろう。まあ、そのおかげで部屋から抜け出す時は楽だったんだけどね。いつも俺がどこか行こうとすると「鳶! 何処か遊びに行くのか!」と俺の仕事を詳しく聞きだそうとするのだ。忍びとして、そういった詮索は実に困る。
 暗い廊下を、足音を立てずに進みながら、俺は年下の主人を思い出して小さく小さく溜息を吐いた。というか、思い出しただけで溜息付いていること自体、俺ってば本当に疲れてるんだなぁ。早いところそれらしい情報を探し出して、宿の温泉に入りなおしたいところだ。
 と、行き止って、俺は目の前の壁を睨んだ。壁の左には、控えの間の襖が折れて続き、その先にある他の部屋は既に調べてある。なんの異常も無く、拍子抜けするくらいに普通の部屋ばかりだった。だけど、ここで何か俺は違和感を覚える。
 なんで突然、ここに壁? 
 いや、おかしいことはない。家の中に壁なんていくらでもあるものだ。現に九鬼邸にも壁はあるわけで、そのうちいくつかは廊下を全力疾走して止まりきれなかった犬山の旦那が激突したため、へこんでいる。だが、そういうことではない。その壁は実に中途半端な長さで、すぐ後には他の部屋へと続く襖が並んでいた。建物の角に間切りとして壁があるのは常識だ。常識なのだが、俺の忍びの勘が何か変だと警告している。
 だから俺は手の甲で薄っすらと赤味を帯びた土壁を叩いてみる。跳ね返ってきた音は、随分軽い。
「……隠し扉か」
 自分に確認するよう呟いてから、俺はそっと、だが力を込めて壁を押してみた。すると少しきしんだ音と共に、壁が奥へと入り込み、人間が一人通れそうな隙間が出現する。
 その空間を見下ろすと、ご丁寧にも気の梯子が掛けられていた。普通隠し扉っていったら、要人の部屋の掛け軸の後ろとかにあるもんじゃないの? とか何とか思いつつ、俺は梯子に足をかけて下りていく。こういう所は怪しくて滅多なことでは関わりたくないのだけれど、これも仕事のうちだと自分に言い聞かせながら。
 少し穴の中を下りていくと、頭上で押した壁が再びきしんだ音と共に元の「壁」としての位置に戻っていくのが見えた。どうやらバネを用いた回転式らしい。回転はいいんだけど、反対側からあかないなんてこと、ないよな。……ちゃんと出口、あるんでしょうね、ここ?
 
 少しの光も無い穴の中は墨を垂らしたような完全な暗闇で、慣れていない者だと感覚神経が狂い、上っているのか下りているのか分からなくなることだろう。しかし、そういった訓練もちゃんと受けている俺にとって、その暗闇はさして問題にはならなかった。
 梯子を降りる俺の足音だけが、暗闇に反響する。反響するということは「屋敷」という空間から違う場所に移動しつつあるということだ。幸い足元から風が舞い上がってくるので、出口はあるらしい。暫く下りていくと、突然足に伝わる感触が変わった。無事に地面にご到着、というわけである。
「……さて、と」
 梯子から手を離して、俺は暗闇の方を振り返る。かすかに鼻に届いたのは蝋燭の燃えた臭いだった。どうやら最近でも人の出入りがあるらしい。慎重に足元へ目を凝らすと、なるほど大体二間おきくらいに、ちびた蝋燭が立っていた。この先に誰かいるかもしれないので、明かりをつけることはしないものの両手を伸ばし通路の広さを測る。人が並んで二人通れるくらいの通路だ。人口の壁かと思って通路の両脇に触れてみると、意外にもそれはごつごつした自然石だった。そのとき、俺の頭に赤星邸の構図が思い出される。この屋敷の後ろには銅山があった。だとすればこの通路は、屋敷の下を掘り進めて銅山と繋がっていると考えられるだろう。……なんつー無茶なことを。帰り道がちゃんと屋敷に繋がっていることを切に祈りながら、俺は腹を決めて暗闇の先へと進んでいく。
 じゃりじゃりとした土を靴越しに足の裏で感じながら暫く進むと、突如広い空間に出た。半球形をした天井が人の手によって掘られたものかどうかは暗くてよく分からないが、突然現れた広さに俺が少々あっけに取られていると、暗がりの向こうで微かな物音がする。
 すぐさま篭手に嵌めているクナイを構え、俺は音のした方向を睨んだ。トカゲか何かかと思ったが、それは確かに人の気配だ。相手がもし俺に気付いていたら、仕方ないが殴って昏倒させるしかない。暗闇にいる相手が敵かはわからないが、味方である可能性はまず無いからだ。姿を見られず情報を入手すること、そしてそれを主に伝えることが俺の仕事なわけなのだから、そのためには多少手荒なまねをとってもご容赦いただきたいものだ。
 が、相手はそれ以上近寄ってくることはせず、それどころか苦しげな咳まで聞こえてきた。……少々おかしい話になってきたぞ?
 クナイを構えたまま、俺は音のした方向へ気配を消しつつ進んでいく。近くで見ると、そこには鉄の格子が嵌められていた。自然の岩壁を掘って作られたその牢の中には、薄い布団に包まって横になる老人の姿が。
 手入れされていない髭に暗がりでもそれと分かるカサカサした肌。軽く見積もっても二週間はここに閉じ込められているようだ。その咳の具合から、感冒に掛かっていることが分かったものの、相手が誰で、どんな身分なのかは判断できない。更に目を細め格子越しに、俺は老人を観察する。気難しそうな眉は苦しげに歪められ、恐らく元は丁寧な手入れを施されていたと思われる白髪は、いまや埃でバリバリと音をたてそうなほどだ。囚人ではあるが、身分の低い者ではない。これは、誰だ?
 その時、俺は微かに聞こえた音に、反射的に地面を蹴って飛び上がった。
 飛び上がりつつ見下ろすと、先程まで俺が立っていた場所に何か硬質な物が突き刺さる! 暗闇でもそれが何か俺には分かった。棒手裏剣。
 舌打ちしたいのを我慢して、俺は宙で身を翻し、牢から少し離れた場所に着地した。が、それを狙っていたのだろう。立て続けに向かってくる風を切る音に、俺は更に後方へ跳んで投げつけられた棒手裏剣を避けた。これには相手側も驚いたのだろう。暗闇にわずかに走った動揺を探知して、俺はすぐさまクナイを仕舞うと、腰に下げていた鎖鎌を取り上げ闇に向かって鎖を投げた! ジャッという音に続けて、鎌を握った俺の手に確かな衝撃が伝わる。よし、捕えた!
「っらぁ!」
 気合一閃! 俺が鎖を思い切り引っ張ると、悲鳴とも舌打ちとも付かない微かな声と共に暗闇の向こうで相手が地面に倒れる音がする。その音を確認して、俺はすぐさま駆け、一気に相手との距離を縮めた。鎖に腕をとられて未だにもがくその相手は、俺が駆けつけるとすぐさま立ち上がろうとしたが、そうする前に俺は鎌の先端を相手の首筋に突きつける。
「う……」
 微かな呻きが暗闇に響いた。若い。たぶん、青年の域を出ないくらいの男だろう。自分の顔の下半分が布で隠されていることを確かめてから、俺は胸元から光る石を取り出して相手の顔を確認する。どういう構造になっているかは分からないが、九鬼家に従う変人としか思えない発明家が作り出したこの石は、暗闇の中でも仄かに青く光るのだ。いちいち火をたかなくて良いので、咄嗟の時には重宝している。が、その男がそれ以外に作るものといえば役に立たないガラクタばかり。まあ、そいつの話はいずれまたということにておいて。
 石の光に照らされた相手は、思っていたとおり二十代そこそこの若者だ。お舘様くらいの年齢に見られる相手は、悔しげに歯を噛み締め、俺を睨んでくる。さして特徴らしい特徴の無い顔つき。しかし、その方が忍びとしては動きやすい。とにかく、そんな特徴の無い顔をした男にむかって、俺は通常の己の声よりも遥かに老けた声色で質問する。
「あそこで囚われている老人は誰だ?」
「……」
「ならば、貴様は誰だ?」
「……」
 予想はしていたが、男は何も答えようとしない。しかし、先程男が投げた棒手裏剣には覚えがあった。お舘様を狙い、返り討ちにあって捕えられた二人の男。その刺客が携帯していたのも、こいつが投げたのと同じ手裏剣だったからだ。だとすると、やはりお舘様は翔の国のお偉いさんに命を狙われたのではなく、塊の国の誰かに狙われていたということか。
 黙りこむ男に、俺は更に鎌の刃先を近づけた。
「答えろ」
 頬に当たる刃の冷たさに、男は一瞬顔を引きつらせる。他の刺客ほど、こういった事には慣れていないようだ。これは痛めつけると情報を全部吐くかもしれないな。
 思って、俺は先端で男の喉を少し刺した。瞬間、鎖を通して伝わる男の恐怖。よ〜し、いい子だ。
「あそこに囚われている老人は誰だ?」
「……あ、あかぼし」
「赤星?」
 予想もしていなかった男の言葉に、俺は思わず聞きかえす。
「赤星、誰だ?」
「あ、あかぼし、とし……」
 瞬間、暗闇の奥で膨れ上がった殺気に、俺は条件反射で身をそらした。その目の前を、先程と同じ棒手裏剣が飛び過ぎる。その凶器は、まさに最後の一言を口にしようとした目の前の男の眉間に根元まで深く突き刺さった。ぎょっとして、俺は慌てて男の手首を掴んだが、既に脈は途切れている。しかしぼんやりとしてはいられない。
 すぐさま男から鎖を取り外し、石を懐に仕舞いこんだ俺は、風が吹く方向へと走った。その後を追うように、暗闇から雨のように手裏剣が飛んでくる!
 ちょっ、数多すぎないか!?
 先程の男と違って、どうやら新しく現れた相手はよほどの手練らしく、場所を察知されないように俺を追いかけながら手裏剣を投げてくるらしかった。だが俺も倒れるわけにはいかない。手裏剣が刺さりくる直前の風の音を聞いて、ギリギリではあるがそれらを全て避けていく。これほどの相手とよく分からない場所で真っ向勝負なんて御免だ!
 思った通り、風の吹いてくる方向へ走っていくと次第に月の明かりが見え始めた。外が近い。追ってくる敵と、そいつの執拗な攻撃を避けながら、俺は更に足を速めた。
 途端、上から白い月光が俺に降りそそぐ。
 しかしそこはまだ「外」とは言えなかった。岩壁の向こうにあったのは洞窟で、所々人工の足場が組まれている。自然に出来た天井の先は開いていて、そこから月がその姿を覗かせていた。俺の立つ場所は、人工の足場がつながれているものの、その下には月光でも照らし出せない闇が広がっていた。どれだけ深いのか想像も出来ないし、岩壁に開いたそれぞれの穴がいったい何処につながるかは分からないが、俺に逃げ場が無いことに間違いない。まあ下に下にと進んできて、突然上にでるわけないよなぁ、と頭で思いはしたものの冷静にそのことだけを考えていられるほど事態は穏やかではなかった。
 後方から飛んできた手裏剣が、ついに俺の頬を掠める。ぎょっとして振り返ったが、見えたのは俺の眉間に狙いを定める手だけだ。
 その手から投げられた手裏剣が、確実に俺の方へと飛んできた。飛び上がることも出来ない。
 そして俺は、下に広がる闇の中に落ちていったのだ。





 牢へとつながる穴の中から出てきたのは、中年くらいの男だった、藍色の忍装束には、無数の棒手裏剣が括り付けられている。目つきは鋭く、折れ曲がった鉤鼻がその男の尋常ならざる雰囲気を更に強調しているように思われた。
 男は暫く「侵入者」が落下した闇を覗き込んでいたが、生きてはいまいと思ったのだろう。組まれた足場の一つを渡り、他の穴の中へと姿を消した。
 穴に入る直前で、もう一度闇を振り返ったが、そこにあるのは生き物の存在しないことを示す静寂のみ。
 その静寂に、一度だけ鼻を鳴らして、今度こそ男は穴に入り、戻ってこなかった。
 そして。
 男がいなくなったのを確認してから、俺はようやっと大きく息をついた。
「ぶっはぁっ」
 息を吐いたと同時に、掴まっていた鎌から手がずり落ちそうになったので慌てて柄を掴みなおす。男が手裏剣を投げたと同時に、俺は自ら背中向けに下へと落ちた。手裏剣が鼻先少し上を通過するのを感じつつ、落下しながらも手にした鎖鎌を岩壁に突き刺して留まった俺は、相手に生存を悟られないため手近の岩から大きな石を下へ転がしたのだ。その音を聞いて、男は俺が落ちたと思ったのだろう。相手が俺の鎖鎌に気付いていなかったことが幸いした。そうでなければ金属的な音がしないことを不審に思い、男が更に俺の生存を確かめようと岩壁を下りてきていたかもしれなかったからだ。
 ごつごつした岩をどうにか登り終えた俺は、平らな地面に腰を下ろして再度息を吐いた。
 もう、何がなんだか。
 隠し扉を見つけたと思ったら、へんな場所に辿り着き、はじめに攻撃してきた相手は恐らくそいつの仲間と思われるやつに殺された。しかもそいつが結構な手練なのだから、困るというものだ。
「……ったく、やってらんねぇや」
 鎖鎌の鎖をぐるぐるまとめつつ、俺は本日何度目かのため息を吐く。見上げた狭い空には、月。
 いったい、この国はどうなってんだよ。
 とてもじゃないが、あれだけの忍びを雇うほど、この国が重要な位置にあるとは思えない。だとすれば、他国の人間がこの国に入り込んでいるということか?
 それに、あの牢に捕らえられていた老人だ。
 殺される直前、若い男は「あかぼし、とし」とまでは呟いた。
 そこから連想する名前なんてひとつしかない。
 塊の国首領、赤星利通。
 高齢と聞いていたから、恐らく赤星その人なのだろう。
なんでその人があんな場所に閉じ込められているんだ?
 穴を引き返してもう一度確認してもいいところだったのだが、またあの男が戻ってこない可能性も考えられないため、この場はいったん退くべきだと俺は判断した。
「よっこらしょ」
 年寄り臭いなぁ。そう思いながら、俺は重い腰を上げる。
 しかしまさか、岩のぼりまですることになるとは思っていなかった。これは何か特別な褒美でも貰わないと、ちょっとぐれてしまいそうだ。
 
 とにかく、重大な情報を俺が見つけたのは確かだった。
 一刻も早く、離れで待っているお舘様にこのことをお伝えしないといけない。
 お舘様の勘が当たってしまったことに、俺は苦笑した。
 この国と同盟を結ぶのは、随分と骨の折れる仕事になりそうだ。

 ふと、そのとき俺は月を見上げたまま呟いた。
「……帰り道、どっちだよ?」
 無論、それに答えてくれる相手は、いない。  


11 :菊之助 :2007/08/29(水) 19:54:16 ID:kmnkzJPn

犬山忠友 その参

 赤い色をした空が頭上に広がっている。わずかに突き出した岸壁に膝を抱えて座り込んだ拙者は、ぼんやりとその空を眺めていた。
 膝からは空とは違う赤色の血が流れている。大した量ではないが、立ち上がろうとするたびに傷口からはズクズクと痛みが湧き上がり、それが崖を登ろうとする力はもちろん、助けを呼ぶ声も出させなかったように思えた。
 遠い空の向こうには、死んだ母上がいるらしい。乳母に聞いた言葉を思い出して、拙者はそっと涙ぐむ。
 涙を流して気が付いた。
 父上と兄上が戦死してから、自分がずっと泣いていなかったことに。


 その瞬間目が覚めた。
 そうか、今見ていたのは夢だったのかと、汗で濡れた夜具を横にやりながら、拙者は上半身を起こす。と、その時頭の中で大きな銅鑼の音が響き渡った。
「くぉっ……!」
 喉から零れた自分の言葉に、再び頭の中で銅鑼が鳴る。グワングワンと響く音に吐き気が込上げ、思わず再び床に倒れ伏した。
「うぅぅ……」
 呻きつつ拙者は枕元に手を伸ばす。指先に触れた硬い物質をよろよろと手繰り寄せ、しっかりと抱き込んだ。朱色の柄をした愛用の槍を握っていると、大抵の痛みや辛さを忘れるだけの力がわいてくる気がする。この吐き気と銅鑼の音には覚えがあった。今年の元旦、年始の儀において鳶十に「水ですよ」と渡された透明な液体を飲んだ翌朝も、こんな風にひどい状態になったものである。その「水」が酒だったと分かったのは、翌朝頭を抱えてうなっている拙者の横で、鳶十が鬼灯丸殿に木に逆さでくくり付けられているのを見たからだ。
 そういえば、昨夜は部下に酒を飲まされた気がする。そうだ、飲まされた、飲まされたぞ。あの時は次第に気分が良くなって、それこそ鳶が言っていた「水」という表現も頷けると思ったのだが、この気持ち悪さは水には無い悪い効能だ。
(うう……もう二度と酒なぞ飲むものか……!)
 槍を握る手に神経を集中させ、拙者は少しでも頭の中の銅鑼の音が遠ざかるのを待った。深く呼吸をする。こんな醜態、もし鬼灯丸殿が居ようものならば、どれだけ罵倒される事か。
(そういえば)
 ハッと目を開いて、拙者はある事を思い出した。鬼灯丸殿の所在である。
 鬼灯丸殿は昨夜、部下達との夕餉の席に姿を現さなかった。お舘様直属の召使ともなれば、離れに宿泊されるお舘様のお側にいることは至極当たり前のことなのだろう。しかし、離れに運ばれた夕餉の膳と寝具はそれぞれ一人分だったのを、おぼろげながら拙者は覚えている。
「仕方ないでしょ、旦那。鬼灯丸殿は俺たちの前では堂々としたお人だけど、世間的には『存在しない召使』なんだからさ」
 宿の者に、もう一人分ずつ食事と寝具の用意を頼んだ方が良いのではと考えた拙者を、鳶はそう言って止めた。
「翔の国内でも敵だらけのお舘様を極秘裏に警護するのが鬼灯丸殿なんだよ? 他国の場合だったら、存在が知られないようにするのは尚更でしょ?」
「つまり、どういうことだ?」
「つまり俺たちは、鬼灯丸殿がここに居るってことを他の奴らに漏らしちゃいけないんだよ」
「何故?」
「だ〜か〜ら〜、ね? 姿を隠していた方が何かと得になることもあるんだよ」
 そういうものだろうか。思いはしたが、拙者はそれ以上の言葉を控えた。なんと言ってもお舘様が鬼灯丸殿がいることを宿の者にも、そして塊の国首領にも秘密にしているのである。ならば一介の部下である拙者がとやかく言うのはよろしくないだろう。
 そう言えば、と頭の中の銅鑼が少し遠ざかったことで余裕を持った拙者は首だけを動かして、室内を見渡した。思ったとおりだ。拙者は部屋の中に鳶がいないことに気が付く。忍は気配が無い事で知られているが、幼い頃より側にいる鳶の気配については、拙者は意識せずともそれと知ることが出来る。室内には拙者のほかに三名の部下が高いびきをかいて眠っていたが、拙者の横にある鳶十の布団だけもぬけの殻である。手を伸ばして鳶の布団に触れた。冷えている。
 槍を杖代わりに起き上がった拙者は、部屋の障子をそっと開けて外の様子を窺う。東の空が少し明るくなりつつあるものの、まだ夜明け前といったところか。
 厠にしては、随分と時間がかかりすぎている。だとすれば、これは鳶がお舘様から何か仕事をおおせつかっているという可能性が高い。そう考えると拙者はすぐに自らの布団をたたみ、枕元においてあった自らの装備を身につけ始めた。
 槍を振りやすいように袖を絞った小袖に、動きやすくするため膨らみをとった括り袴は、鳶に仕立ててもらったものだ。更に脛当、細鎖の着込み、敵の攻撃を防ぐために左手のみ片篭手をつける。準備万端だ。
 最後に額当を締めたならば、あれほど酷かった二日酔いもどこへやら。
 愛用の槍をざっとかついで、拙者はお舘様のいらっしゃる離れへと向かった。


 離れの門前に到着する頃、拙者は普段ではありえないことだが喉の渇きを覚えていた。見上げると次第に空全体が明るくなり始めている。酔いつぶれた部下達が目覚めるにはまだ時間はあるだろうが、急ぐに越した事は無い。部下達が目覚め騒ぎ出す前に、鳶が今何の仕事を任され、そしてその所在はどうなっているのかをお舘様にお聞きせねば。
 そうだ、今日はまだ体に酒が残っているようだから、鳶にはそれに利く薬も出してもらわねばならない。なればこそ、早々に鳶の居場所をお舘様に教えていただかなければ! そして、何か厄介事があるのならば早々にそれも解決してしまわねば! でないとお舘様との「背中の流し合い」も出来ないではないか!
「犬山忠友……精一杯働く所存っ!」
 全ての解決は、翔の国と塊の国の同盟関係成立にあるのだと拙者は理解している。昨日のお舘様のお話では、相手側が突然同盟反故を申し出たらしい。武士たるものが、突然理由無く約束を違えるとは、なんと失礼なことか。そのお話を聞いた時は、お舘様に「まあ、まだ時間はあるから大丈夫だ」と宥められて渋々拙者は納得しようとしたが、恐らく鳶は塊の国首領の屋敷を偵察するように言われているのだろう。自分の部下である鳶が仕事をしているというのに、その主である拙者が何もせず酒を飲んで寝ていたとなれば、これこそ武士の名折れである。少しでも早くことを解決するため、拙者、働きますぞお舘様っ!
「おぉおお館様ぁあっ!」
「うるさい、この犬」
 突如頭上から落ちてきた声と共に、拙者の頭がメゴリッと何かいやな音を立てた、ような気がした。気がしたというのは、それを音と認識するよりも衝撃の方が遥かに強かったからだ。
「ンふぐぅっ!」
 脳天から突き抜けるような衝撃に、思わず膝をついた拙者はスラリとした黒い足を見た。この足の持ち主は……。
「ほ、ほおズきマるどの……?」
「お前は本当に石頭だな、忠友。自分の踵のほうが痛くなったぞ」
 か、踵落とし? 先ほどは頭の上から声がしたから、恐らく屋根から鬼灯丸殿は拙者にけりを入れたのだろう。……我ながら、よく死ななかったものだ。
「こんな朝早くから何事だ? 第一、お前がこちらに来なければならないような用事は、お舘は何も頼んでいないぞ」
 いつもと変わらぬ黒頭巾の下から、鬼灯丸殿の左目がこちらを睨んでいる。本当は睨んでないのかもしれないが、拙者にはそう見える。おお、あ、頭痛い。二日酔いと明らかに異なる頭の痛さだ。恐る恐る頭に触れると、大きな瘤が出来ていた。……鳶に瘤に効く薬も調合してもらわなければならないな。そうだ、鳶!
 思い出して、拙者は取り落とした槍を握り、立ち上がった。
「なんだ、忠友? 自分と一戦交えようというのか?」
「と、とんでもござらん!」
 いらぬ提案に慌てて拙者は穂先を下げる。鬼灯丸殿と戦おうなんて、お舘様のご命令だとしても出来る事ならばご遠慮願いたい。といっても、お舘様がそのような命令を下す事はないだろうが。
「ではなんだ? 早くしろよ、自分は暇ではない」
「はっ」
 急いでいるようには感じられない口調だったが、拙者はばっと鬼灯丸殿に頭を下げた。この方の言葉は、こちらがつい頭を下げてしまうような、不思議な響きがある。お舘様と種類も感じも違うが、お舘様の一の召使として、やはり人を従えさせるような力が鬼灯丸殿にもあるのだろう。
「畏れながら」
 そう切り出して、拙者は頭を下げたまま言葉を続けた。
「畏れながら、こちらに鳶が来ておりませんか!」
「……鳶十が、何故だ?」
「昨夜から部屋に居りません故、もしやお舘様から何か仕事を仰せつかったのではと思いました!」
「声がでかいと言っただろうが」
 そう言って鬼灯丸殿の指が、拙者の旋毛をビシッと突いた。予想外の衝撃に「うっ」と呻いてしまった拙者は、次に降ってくるであろう鬼灯丸殿の叱咤が無いのを不思議に思い、恐る恐る顔を上げる。そこにあったのは、腕組みしたままジッとこちらを見下ろしている鬼灯丸殿の左目。少し青み掛かって見えるその瞳は、どこかお舘様の瞳を思い出させる。
「忠友」
 名前を呼ばれて、拙者は自分がその瞳を見詰めていたことに気がついた。慌てて頭を下げる。
「はっ」
「……もしも鳶が仕事を言いつけられていたとして、だ。お前はそれで何故ここに来たのだ?」
「……はっ、それは、その……」
 尤もな鬼灯丸殿の問い掛けに拙者は言葉が詰まる。何故? 何故とは。
「鳶はお前と違って忍だ。それはあいつを連れてきたお前が一番理解している事だ。忍の仕事を、お前のような騒がしいやつができると思ったか?」
「……いえ、そのようなことは」
「ならばお前は直に本館に戻り、他の部下の指揮を取るのが仕事だろうが。他の者はまだ寝ているのか?」
「……はい」
「他の者が寝ている間に、鳶の不在に気がついたのは主として上出来だ。主たるもの、部下の動向を常に把握しておかなければならない。だが、それとこれとは別だというのも、お前自身理解しているだろう?」
「……」
 いつものように頭ごなしで叱りつけられた方が良かった。
 お舘様に言われる時もそうなのだが、このように諭される言い方をされると、最近はとても胸の内が痛くなる。己の不甲斐なさを痛感するというのは、こういうことなのかもしれない。
 だが。
 だが、しかし。
「聞いているか、忠友?」
「……ですが、鬼灯丸殿。鳶が、鳶がこんな時間になっても帰ってこないのは変でござる」
「なに?」
 尋ね返されて、拙者はバッと顔を上げた。目にうつるは、不審気に目を細める鬼灯丸殿の顔。普段、鬼灯丸殿にこんな目をされたら、拙者は思わず口ごもる。口ごもるのだが、今日の拙者はそうではない。
 気がつけば、拙者の口からは矢継ぎ早に言葉が溢れていた。
「鳶はいつもどんな仕事を言い付かっても、必ず夜の間に帰ってまいりました。それなのに、もう朝になるというのに、それなのに、まだ帰ってこないのです。鳶に限って何かあったとは思えませぬが、それでも、それでも、もし何かあったならば、直属の主である拙者がそれを知らないとはおかしいな話でございましょう?!」
「……忠友」
「それにもし何かあったのならば、拙者が助けにいかなくて、誰が鳶を助けに行くのですか!?」
 瞬間、側の木から小鳥達が慌ただしく飛び立った。朝が持つ静かな空気に、拙者の声がこだまする。その音が消えてなくなってから、漸く自分の失態に気がついた拙者は、脳天から背筋を通して自分の体温が下がるのを感じた。
 目の前に焦点を再度あわせると、先ほどと全く変わらぬ表情で鬼灯丸殿がこちらを見返している。
 緊張と、何も考えず叫んでしまった自らの失態に、出思わず喉が鳴った。な、なんて命知らずなことを……。
 頭を下げる事も、土下座する事も、出来ずに棒立ちになった拙者の前で、『最恐』と謳われるお方がフッと息を吐いた。少し呆れたような声が、その溜息に続く。
「鳶に何かあったら、お舘が放っておくわけ無いだろうが。それにお前は騒がしすぎるし、熱すぎる。戦場での救出ならばまだしも、隠密での救出はまず無理だ。自分の特性を知れ」
「……はい」
 静かな声だというのに、拙者の頭は圧さえられたかのように次第にうつむいていった。
 分かりきっていたことだ。拙者に出来ぬから、鳶に仕事が任せられる。それを悔いたり羨んだりした事は……無いとは言い切れないが、それでも納得していたはずである。
 拙者の得意なのは、多くの敵を相手に戦う事。鳶の得意なのは、多くの敵に見つからず情報を引き出すこと。活躍する場所も力も違う我らが直接的に助け合う事は、無理な話だと理解していた。それでも、もし鳶が死にそうになっていたら。拙者の知らない場所で、怪我を負っていたら。たとえ自分のあがる土俵でないにしても、助けに行かずにはいられない。それが主従、それが友というものではないのだろうか。
 だが、鬼灯丸殿の仰る事の方が正しい。少し前の勢いは何処か遠くに飛んでいってしまった拙者は、何も言えずに俯いたままだ。
 そのとき、クシャリと何かが拙者の頭に触れた。
 驚いて、顔を上げる。見慣れた鈍色の髪と、少し困ったような表情をするその顔は。
「……鳶」
「只今帰りましたよ、っと」
 そう言って笑うと、鳶は拙者の髪をかき回した。突然の登場と、その行為に拙者は抵抗も出来ず前のめりになる。
「わ、ったた」
「まーさか旦那が離れに来ちゃうとは思わなかったなー。というか、まだ酒臭いっすよ? 頭痛くない?」
「遅いぞ、鳶。お舘が煙草の吸いすぎで肺を患ったら、お前は磔の上、更に打ち首だ」
「……すんません」
 鬼灯丸殿に睨まれて、漸く鳶は拙者の頭から手を離す。
 それを機に、拙者は鳶の懐に入り込んでその襟首を締め上げた。拙者よりも少しばかり背の高い鳶の襟を掴み上げるのは、本当のところ少々苦労するのだが、そんなこと気にしてはいられない。
 突然の拙者の行動に、鬼灯丸殿に頭を下げていた鳶が目を丸くする。
「旦那……?」
「心配したのだぞ」
「へ?」
 襟を掴まれているというのに、首をかしげて鳶がそう聞き返した。髪と同じく鈍色の忍装束は、ところどころ土埃で汚れているものの、怪我らしいものは見当たらない。思わずホッと息を吐く。
「旦那?」
「お舘様に早々に報告して本館に戻るぞ。朝餉の時間までに戻らねば、他の部下が騒ぎだす。お前一人残すと遅くなるだろうから、拙者はそれまでココで朝の稽古をしておく」
「そんな勝手な……」
 疲れた声を出して鳶が言ったが、拙者は振り返らなかった。そこで声をかけたのは、鬼灯丸殿だ。
「いいから二人とも、中に入れ。鳶の報告は、忠友、お前も聞いておかねばならない」
 変わらぬ冷たい声で言われて、拙者は勿論、鳶も驚いた様子で鬼灯丸殿に聞き返した。
「え、なんで旦那もなんですか?」
「忠友はお前の主だろう?」
 ニヤリ。
 黒い頭巾の下からそんな音がしたような気がして、拙者の頬が少し引きつる。先ほどの拙者の啖呵を、鬼灯丸殿はよく覚えておいでのようだ……。
「それにな、先ほど佐助からも報告があったのだが、どうにもおかしな動きがあるようなのだ。今後の事も視野に入れて、本隊責任者である忠友にもちゃんと知っておいて貰わないとな。いいか、鳶?」
「そりゃあ、俺は……」
「よし、ではさっさと中に入れ。といっても、鳶を待っている間お舘が煙草を吸い続けていたのでな、中は大分煙たいぞ」
「はあ……」
 トントンと話を進められ、拙者達は鬼灯丸殿に言われるまま、離れの扉を開ける。
 横では何やらまだ釈然としない面持ちの鳶がいた。でも、そこに鳶がいるのは事実だ。
 その事実に「安心感」を抱いている自分が少し恥ずかしくて、拙者はそそくさと離れに入るのだった……。


12 :菊之助 :2007/08/29(水) 20:36:11 ID:kmnkzJPn

小菅ヶ谷丸その参

 塊の国の空は、翔の国の空よりも少しくすんだ色をしている。
 それが砂鉄を精錬するための踏鞴吹(たたらぶ)きによる煙のせいだと気が付いたのは、採掘場に近付いてからの事だった。
「如何ですか、九鬼殿。これが我が国の資本でございます」
 鹿毛の馬にまたがって、微笑みながら振り返った三雲久光に対し、我は同じくにこやかに微笑んで、答えた。
「これほどの規模を統括されているとは、さすが塊の国でございまするな」
 その言葉は本音だったが、言う相手によって本音に置いてもこれほど虫唾が走るとは知らなかった。しかし、ここは笑顔で堪えねばならない。それが今回の同盟において、最高責任者である自分の仕事なのだ。
 と、我が自分自身にそう諭していたところ、我が跨る黒馬が鼻息とも嘶きともつかない、実に不機嫌そうな音を出した。半眼で馬の顔を見ると、草食動物にはおよそ不釣合いな、いうなれば実に攻撃的な眼差しでこちらを見返す黒い瞳があった。我もそんなに目つきが良い方ではないが、これほど目つきが悪い馬を見るのも初めてだ。一瞬、睨み返してやろうかと思ったが、それを実行する前に三雲が話しかけてきたので、さっと表情を改めた。
「しかし、今朝は驚きましたな。突然九鬼殿が赤星邸におこしになるとは、思ってもおりませんでした」
 笑顔を向けながら、言葉に込められたのは痛烈な厭味。だとすれば、こちらもそれ相応に答えてやるのが大人の礼儀だろう。
「いえいえ、そんな。同盟を結ぶのにこちらから参上しないわけにはゆきませぬ」
「ははは、何を仰る。同盟は反故と言う事でお話は付いたではありませぬか」
「三雲殿こそ何を仰いますか。某、易々と同盟反故を受け入れるつもりはございませぬよ」
 変わらぬ笑顔で更に応酬してきた三雲に、我も間髪いれず答えを返す。なめるなよ、このキツネ男。厭味や挑発は幼い頃からずっと受けている我が、そんな言葉で引き下がると思ったか。自然な作り笑顔なんて、我にとってはなんてことは無い。
 こちらが微笑み続けていると、少し怯んだのか三雲は咳払いを一つした。
「ところで、宿は如何でしたかな? あそこはこの国で一番大きな宿なのですが、粗相はございませんでしたか?」
「勿体無いお心遣い痛み入ります。とてもよくしていただき、私を初め部下一同喜んでおりまする」
「左様ですか。それは良かった」
 ニッコリと微笑みながらも、我は三雲の目が笑っていないのに気が付いた。やはり、昨日の女刺客はこの男の差し金だったか。しかし、それを決定付けるような証拠は無い。勿論、あの後女に対して鬼灯丸が尋問したのだが、前に捕まえた刺客同様にさしたる情報は出てこなかった。
が、
「あれはまだ何か隠していますよ」
と言ったのは、偵察から戻ってきた鳶十だ。報告を終えた鳶十は、奥座敷で転がしていた女の顔を見るなり、無表情に呟いた。
「全部情報を吐ききったヤツの顔じゃない。三雲久光の名前を口にしたくらいですからね、先の二人より確実な何かを隠しているはずです。どうします、お舘様? 俺が尋問しましょうか? 俺なら鬼灯丸殿よりも、こういった仕事には向いている」
 その言葉に、一瞬ではあったが確かに女刺客の顔が青ざめたのを我は見た。
 鳶の言うように、鬼灯丸よりも鳶十の方がそういった仕事には手馴れている。幼い頃から忍びとして育てられた鳶は、筆舌に尽くしがたい尋問、拷問方法を心得ている。対する鬼灯丸は、確かに最強の冠を有するに相応しい能力を有しているものの、その実非情に徹しきれない部分があることを、幼馴染である我は十分に理解していた。更に言えば、鬼灯丸は幼き頃のある事件により、女性に対して特に手荒な事が出来ないでいる。先日の刺客二人は男だったから、それなりの方法で情報を聞き出したものの、鳶もおらず、女を相手に行った尋問は肉体には殆ど触れない、言うなれば「良心的」とも思えるようなものだった。
 鳶の言葉に、鬼灯丸が一瞬見せている方の目を細めたのは、徹しきれない自分自身への苛立ちだったのか、それとも普段は飄々としているくせに突然「忍」として冷酷になりきれる鳶への戸惑いだったのか。
 そこで我が下したのは、我が再度赤星邸に赴き帰ってくるまでは女に手出しはしない事、というおよそ主人らしからぬ命令だった。
 同盟責任者として、それを邪魔しようとする者達の素性を完全に把握しておくことは必要だが、それでも女を拷問してまで情報を聞き出そうとは思わない。
 鬼灯丸の表情を見た為に甘い判断を下したのかと聞かれたら、確実に「否」と答える事は出来ないものの、それでも傷つく者が少ないことに越した事は無いだろう。
なので、朝餉が済むと同時に我は昨日と同じように再び赤星邸を尋ねた。
相変わらず、塊の国の首領である赤星利通殿が出てくることは無かったが、逃げるものだとばかり思っていた三雲久光が再び出てきたので、今度こそヤツから有益な情報を仕入れようと時間を稼ぐため、我は採掘場の見学を申し出たわけだ。


「国民の半分が、鉄や銅に関係する仕事に就いているのですよ」
 突然そう話しかけられて、我は自分が一瞬でも自分の考えに陥っていた事に気が付いた。三雲に気が付かれたかと思ったが、キツネ顔の若年寄は眼前に広がる採掘場を指差して説明を続けている。
「今採掘している場所は、この山になります。ここで取れた鉄を、ほら、ここからでも見えますでしょう。あの煙の下にある踏鞴場(たたらば)で精製し、他国へ出荷するのです」
「今、と仰いましたが、ここいら一帯の山々は採掘できるだけの資源を蓄えているということでございますか?」
「左様。資源には限りがございますからな。一度に全ての山から採ることはせず、ある程度採掘が進めば他の山へと移る。塊の国は昔からその方法でやってまいりました」
「なるほど」
 馬の上から頷いて、我はざっと採掘場に目を走らせた。
 深く掘られた大穴から、土と汗で汚れた男達が引切り無しに行き来している。その顔はどれも疲れきっており、中には馬に跨った我らのことを恨めしげに見る者もいた。そんな彼らの表情に、我は違和感を覚える。
「どうかなさいましたか、九鬼殿?」
「……ここで働く者達は、毎日何時間働いているのですか?」
 採掘場奥へ進もうとした三雲が振り返ってそう尋ねたので、我は労働者の方を見詰めたままそう呟いた。
 まだ昼前だというのに、あれほど疲れきった様子というのは些かおかしい。採掘場の仕事は確かに重労働だが、彼らの顔はまるで強制労働を強いられた者のそれだ。
 しかし、こちらの思考に気付いてか気付いていないのか、三雲の表情は変わらない。
「日が昇ってから、夕刻には終了いたしますよ。採掘は明るい間しか出来ませぬから」
 今までの中でも最も自然に思えたその笑顔は、寧ろ自然に見えすぎたからこそ不自然に思えた。
 もしここの者たちが強制的に働かされているとすれば、それを指示しているのは首領の代理的役割を果たしている三雲が出しているのだろう。そもそも塊の国の鉄や銅は上質ではあるが、量こそ多くは輸出していないので有名だ。鉄や銅がどれくらいの発掘量で、どれだけ精製する事が出来るのか詳しい事まではわからないが、それにしても国民をこれほど疲れさせるほど国が鉄銅を必要としているとは思えない。
 だとすれば、どこか特別な何かが鉄を必要とし、塊の国自身に脅しをかけて輸出を強制しているのではなかろうか。
 頭によぎるのは、鳶十の報告と、鬼灯丸の報告だ。


 鳶の話では、赤星邸には裏の銅山に繋がる隠し通路があるらしい。しかも、その先にあったのは明らかに人の手で作られた牢屋であり、中には病にかかった老人が幽閉されていたと言う。
「途中邪魔が入りまして、赤星利通と思しき人物の救出は出来ませんでした」
 暗闇で鳶を襲撃したのは、訓練を受けた忍だった。どこの手の者か分からないが、塊の国に入ったと同時に我を襲ったやつらと同じ棒手裏剣を使用していたことは判明している。その後、いくつもある穴からどうにか出口を探し出し帰ってきた鳶は、そこまでの道のりは全て記憶しており、我の命令一つで再びそこに潜入できると告げた。幽閉されていた老人が本当に塊の国首領かどうかは分からないが、そうでなくても早いところ救出せねばなるまい。
 そして、もう一つ。国境に奇妙な陣営が築かれていると、鬼灯丸が言った事だ。
「佐助によると、自分達が通った道と真逆の山間に、武装した集団がざっと見積もって二百名いるらしい」
 そいつらは陣営をはって、何かを待っているかのような様子だったという。旗印こそ無かったものの、身につけている武装は明らかに山賊などとは違い、どこかの兵団のそれらしかったそうだ。
「塊の国の兵団で無い事は確かだ。塊の国は練習用の具足でも胴に家紋である三石(みついし)をいれているが、そいつらの胴には何も無かった」
 だとすれば、第三国が塊の国敷地内へ潜伏している事となる。
 そいつらが首領である赤星殿を幽閉したのか。
 我の暗殺を企てたのか。
 同盟反故を指図したのか。
 どれも定かではないが、確実に我らが相手にすることとなるだろう。
 しかし今、国の代理者である我が直接、そいつらの元へ向かうわけにもいかないし、赤星殿を救出しに行くわけにもいかない。我が今すべき事は、恐らくそいつらと何かしら繋がりがあると思われる三雲から、情報を聞き出すこと、そして決定的な証拠を見つけ出す事だ。相手を油断させるため、我は部下を誰も連れず赤星邸に向かったわけである。そのことに対し、忠友は大いに反対したが、違う仕事を任せると言ったら、急に張り切りだした。素直なのは良いが、単純すぎるような気もする。忠友に関しては、やはり少し育て方を間違えたのかもしれない。


 そんな事を考えている我だが、気の抜けない状態であることは確かだ。
 今も、周りを三雲の部下三名に囲まれての移動である。もし我を暗殺しようとするのならば、恰好の機会だろう。まあ、例え背後から切りかかられたところで、我に死ぬ気は毛頭無いのだが。
 我が黙り込んでいると、その代わりとばかりに我の乗る馬が小さく嘶いた。
 その嘶きに、前を行く三雲が再び振り返る。
「随分と美しい黒毛の馬ですな。九鬼殿の馬でございまするか?」
「……いえ。馬車をひかせていた馬の一頭でございますよ。人を乗せることにはあまり慣れていないようで、少しばかり興奮しているようでござる」
「そんな美しい馬が馬車を! ははぁ、翔の国にはさぞ素晴らしい馬ばかりが揃っているのでしょうな」
「……そんな事は、ございまぬ」
 曖昧に微笑んで答えた我は、ふと視線を感じてそちらを見た。
 馬が、睨んでいる。
 つぶらなはずのその瞳に浮かんだ、明らかな批判の色に(仕方ないだろうが、これも仕事だ)と三雲に聞こえぬよう馬に囁くと、そいつはおよそ馬の口からは出ないであろう「ちっ」という舌打ちをして、正面を向いた。
「……」
「どうかなさいましたか、九鬼殿?」
「……いえ。次はどちらへ向かうのですか?」
「ああ、次は踏鞴場に参りましょう。その後、出荷場を御覧頂こうかと」
「それはそれは、楽しみでございますな」
 言って、我は馬の手綱を強く握り締めた。それに対し、馬が再び反抗的な眼差しでこちらを見返したが、気付かなかったことにする。
 三雲の後に続きながら、我は腰に下げた太刀二本の重みをそっと確かめた。
 ここからが正念場なのだろう。我を暗殺するには、移動中で、辺りに人がいない時が一番だ。相手が切りかかってくる前に、有益な情報を引き出さねばならない。何より、切りかからせるような隙を見せてはならないのだ。尤も確実な同盟反故材料は、責任者である我が三雲の目の前で殺害される事。客人(つまり、我だ)が目の前で暗殺されたとあれば、翔の国はそれを見過ごした三雲、ひいては塊の国に報復をせねばならなくなる。それは翔の国にとっても、そして我自身にとっても避けねばならないわけだ。
 相手を油断させつつも、本当に隙を見せてはならない。……正直な話、疲れる。
 思っていると、近くで溜息の音が聞こえた。その音は、我の近くでした。ということは、だ。
「……馬が溜息を吐くな」
 ピンと立ったその耳に、我が注意を囁くと、馬は歩きながら「了解した」といわんばかりに耳を動かした。
 が、その後すぐに、それこそ虫の羽音くらい小さく「ケッ」とそいつが吐き捨てたのを、我の類稀な聴覚は確実にとらえる。
 ……耳がよいというのも、考えものだ。
 そして、馬らしからぬ馬にまたがった我は、三雲に案内されるまま更に山の中へと入っていくのだった。


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甘辛流小説家ギルドGAIA
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